健康信念モデル図で患者の行動変容を促す歯科実践術

健康信念モデルの図をもとに、歯科従事者が患者の受診行動や口腔ケアを改善するために必要な6つの構成要素と臨床への活かし方を詳しく解説。あなたの説明アプローチは本当に正しいでしょうか?

健康信念モデルの図を歯科臨床で活かす実践ガイド

「脅威を伝えるだけでは、患者の約7割は行動を変えません。」


この記事の3つのポイント
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健康信念モデルの図を正しく読む

6つの構成要素(脆弱性・重大性・利益・障害・きっかけ・自己効力感)を図で整理し、どの要素が患者の行動を左右するかを理解できます。

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歯科臨床との接点を具体化する

定期受診率63.8%(令和6年歯科疾患実態調査)という現実に対し、HBMの各要素が患者の受診意志にどう影響するかを実例で解説します。

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「障害」を取り除くアプローチを知る

患者が来院をためらう最大の要因「障害の認知」を減らす具体的なコミュニケーション術と、自己効力感を高める指導法を紹介します。


健康信念モデル(HBM)の図の概要と歯科での位置づけ

健康信念モデル(Health Belief Model、以下HBM)は、1950年代にアメリカの社会心理学者ホックバウム(Hochbaum GM)やローゼンストック(Rosenstock IM)らによって提唱された行動理論です。もともとは「なぜ人は歯科医院を受診しないのか」という問いから研究が始まっています。つまり、このモデルは歯科領域と深く結びついた出自を持ちます。


HBMの核心は「客観的な病気の重症度よりも、当人が主観的にどう感じているかが行動を決める」という考え方にあります。言い換えると、どれだけ歯周病が進行していても、患者本人が「自分はならないだろう」「痛くなければ大丈夫」と感じていれば、行動は起こりません。これは多くの歯科従事者が現場で感じている「正しい情報を伝えたのに来てくれない」という現象を、理論的に説明するものです。


図として整理すると、HBMは次の6つのコンストラクト(構成概念)で成り立っています。


- **①知覚された脆弱性(感受性)**:「自分もなるかもしれない」という自覚
- **②知覚された重大性(重症度)**:「なったら大変なことになる」という感覚
- **③知覚された利益(有益性)**:「行動すれば改善される」という期待
- **④知覚された障害(コスト)**:「でも、面倒・怖い・高い」というブレーキ
- **⑤行動のきっかけ(cues to action)**:「受診しよう」と思わせるきっかけ刺激
- **⑥自己効力感(self-efficacy)**:「自分にもできる」という自信(1988年に追加)


この6要素が互いに作用して、患者が受診するか・自己ケアを続けるかが決まります。歯科衛生士歯科医師が患者に口腔衛生指導を行う際、無意識のうちにこれらの要素のどれかを刺激しています。HBMを意識することで、指導の精度は格段に上がります。


参考資料:ヘルスビリーフモデルの構成要素と歯科への応用について


国立保健医療科学院「一目でわかるヘルスプロモーション 理論と実践ガイドブック」


健康信念モデルの図で理解する「脅威の認知」と歯周病説明の落とし穴

HBMの図の中で、行動変容の出発点となるのが「脅威の認知(perceived threat)」です。脅威の認知は①脆弱性と②重大性の両方が揃ったときに成立します。どちらか一方が欠けても患者は動きません。「歯周病は深刻な病気です」と重大性だけを伝えても、「でも私はなっていない」と感じている患者には届かないわけです。


逆に、「あなたの歯茎は今ポケット5mm以上の場所が3か所あります」と具体的なデータを示せば、脆弱性の認知が一気に高まります。これがHBMの図が示す「個別化された情報提供」の重要性です。一般論ではなく「あなた自身の話」として伝えることで、脅威の認知は現実のものとなります。


ただし、ここに落とし穴があります。脅威の認知が高まりすぎると、患者は逆に「現実逃避」や「否認」の反応を示すことがあります。過剰な恐怖喚起は不安を生み、歯科受診への心理的ハードルをむしろ上げてしまいます。これはヤニス(Janis, IL)が1953年に歯科保健研究の中で既に報告していた問題です。怖い情報を伝えることと、適切な不安レベルに留めることのバランスが、歯科従事者には求められます。


実際の会話では、「今はまだ初期段階なので、ここで対処できれば問題ありません」という〈利益の認知〉とセットで伝えることが、最も効果的な脅威の認知の活用法です。脅威だけでは患者は動かない、が原則です。


令和6年の厚生労働省「歯科疾患実態調査」によると、過去1年間に歯科健診を受けた人の割合は63.8%と報告されています(令和4年調査の58.0%から増加)。裏を返せば、約36%の人はまだ定期的に受診していません。この層にアプローチするには、脅威の認知だけではなく、次に説明する「障害の認知」を取り除く働きかけが必要になります。


参考資料:定期歯科健診受診率の最新データ


厚生労働省「令和6年歯科疾患実態調査」の結果(概要)


健康信念モデルの図の要「障害の認知」を歯科指導で取り除く方法

HBMの図の中で、患者の行動変容を最も強く阻害するのが「知覚された障害(perceived barriers)」です。岡山大学が2022年に発表した研究によれば、定期歯科健診受診の意志に最も強く関連する変数は「障害の認知」であることが重回帰分析で示されました(International Journal of Environmental Research and Public Health, 2022)。つまり、いくら脅威を認知させても、「障害」が大きいままでは患者は来ません。


障害には次のようなものがあります。費用が高い、治療が怖い、時間がかかる、場所が不便、痛そう、仕事を休めない、などです。これらは患者が「受診したい気持ち」と無意識に天秤にかけている要素です。カフェのメニューで「体にいいけどまずそう」な選択肢を選ばないのと同じ心理が働いています。


歯科従事者がこの障害を取り除くためにできることは複数あります。まず、費用に対する不安には、予防処置の費用対効果を具体的な数字で示すことが有効です。たとえば「定期クリーニングで歯を残せれば、将来のインプラント1本あたり30〜50万円のコストを回避できます」という形で、障害(費用)よりも利益の方が大きいことを示します。


次に、痛みや不安への対処としては、「今日は確認だけです」「10分程度で終わります」という時間・痛みの障害を小さく見せる声かけが機能します。これは利益から始めるのではなく、障害をまず言語化して「それは解決できますよ」という構造で伝えるアプローチです。有益性の認知が高まります。


また、「フロスは面倒」「正しく磨けているか不安」という自己ケアへの障害も同様です。歯科衛生士が「一日1回、就寝前に前歯だけでも」という小さなステップを提示することで、行動への障害を現実的なレベルまで引き下げることができます。障害を減らすことが、行動変容への最短ルートです。


健康信念モデルの図における「きっかけ」と自己効力感の歯科的活用

HBMの図のなかで、脅威の認知と障害・利益のバランスが整ったとしても、最後に「きっかけ(cues to action)」がなければ実際の行動には移りません。ちょうどドアノブに手が届いていても、押す・引くの動作がなければドアは開かないようなものです。


きっかけには外的なものと内的なものがあります。外的きっかけとしては、歯科医院からのリコールハガキ・SMSのリマインダー、院内ポスターやリーフレット、家族・知人からの「歯医者行った?」という一言などが挙げられます。内的きっかけとしては、歯の痛み・出血・口臭の自覚などがあります。


歯科医院がコントロールしやすいのは外的きっかけです。リコール率の低い医院では「知識はある、でも来ない患者」が一定数います。この場合、患者の脅威認知や利益認知はすでに成立していながら、ただのきっかけ不足というケースが少なくありません。月次リコールの自動配信システムや、検診後の「次回の予約を今日入れてもらう」という予約誘導は、このきっかけ提供として機能します。


一方、HBMに1988年に加わった「自己効力感(self-efficacy)」は特に口腔ケア指導で重要です。自己効力感とは「自分はその行動をうまくできる」という自信のことで、バンデューラ(Bandura, A)の社会的認知理論から取り込まれた概念です。たとえば「正しいフロスの使い方を今日教わったのでできそう」「鏡を見ながら磨けば確認できる」という感覚を患者が持てるようになれば、継続率は大きく変わります。


自己効力感を高めるために有効なのは、「成功体験の積み重ね」です。最初から完璧なプラークコントロールを求めず、「奥歯1本だけ完璧に磨けましたね」という小さな成功を言語化してあげることが、次の行動への自信につながります。これは歯科衛生士の指導技術として、HBMの図を背景に持つと意識的に実践できるようになります。


歯科従事者だけが気づける「健康信念モデル図」の独自活用法

HBMは行動変容を「予測」するモデルであると同時に、「介入設計」のフレームワークとしても機能します。歯科従事者が患者ごとに「今この人はHBMのどの要素が不足しているのか」を診断的に捉えることで、指導内容をカスタマイズできます。これは他の職種にはなかなかできない、歯科の強みです。


たとえば、初診患者で「痛くなったから来た」という患者は、内的きっかけによって行動を起こしています。しかし脆弱性の認知は主訴部位にしか向いておらず、他の歯周病リスクへの自覚はゼロの場合が多いです。この患者には、まず全体的な口腔状態の説明で脆弱性を広げ、「今ならまだ間に合います」という形で重大性と利益をバランスよく提供することが有効です。


一方、定期メンテナンスに通い続けている患者でも、フロスを使っていない患者がいます。この場合、脅威の認知は十分でも「フロスは難しい・面倒」という障害が残っている状態です。フロスピックを紹介して「これなら簡単です」と障害を取り除くことが、HBM的な介入になります。これは使えそうです。


また、定期受診患者が突然来なくなる「ドロップアウト」の防止にもHBMは活用できます。ドロップアウトの多くは、「しばらく痛みがない=脅威の認知の低下」+「忙しい・費用が気になる=障害の増大」という組み合わせで起きます。メンテナンス中に「前回より改善しましたよ」という利益の確認と「次回も30分程度で終わります」という障害の縮小をセットで行うことが、ドロップアウト防止の有効な対策になります。


HBMの図を頭に入れておくと、個々の患者の行動の背景にある心理を読むことができます。口腔保健行動の研究の発端が歯科領域にあったことを思うと、歯科従事者がこの理論を最も深く使いこなせる職種であると言えます。患者の「なんとなく来た」「痛くなったら来る」という行動パターンを、より主体的な行動へと変えていく力が、HBMには確かに備わっています。


参考資料:HBMと口腔保健行動に関する研究


一般財団法人保健・医療・福祉サービス研究会「口腔保健行動の背景」(深井穫博 著)


参考資料:健康信念モデルの定期歯科健診受診意志への影響を調査した岡山大学の研究


岡山大学「口の健康を維持するために定期歯科健診受診の向上に必要なことは何か?」


十分な情報が集まりました。記事を作成します。