MRIの急性期T2画像だけを信じると、血栓を見逃して患者が死亡リスクにさらされます。
海綿静脈洞血栓症(Cavernous Sinus Thrombosis:CST)は、頭蓋底部に位置する海綿静脈洞に血栓が形成される、きわめてまれかつ重篤な疾患です。 海綿静脈洞は眼窩の直後、蝶形骨の両側に存在し、動眼神経・滑車神経・外転神経・三叉神経の第一・第二枝が通過する解剖学的に複雑な構造をしています。この部位に血栓が生じると、複数の脳神経が同時に障害されるため、眼球運動障害・眼球突出・頭痛・発熱が重複して現れます。 msdmanuals(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/20-%E7%9C%BC%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E7%9C%BC%E7%AA%A9%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E6%B5%B7%E7%B6%BF%E9%9D%99%E8%84%88%E6%B4%9E%E8%A1%80%E6%A0%93%E7%97%87)
発症の最大の原因は感染症の波及です。 具体的には顔面の皮膚感染、副鼻腔炎(特に蝶形骨洞炎・篩骨洞炎)、そして歯の根尖部感染や上顎歯の歯性感染症が知られています。つまり原則は「顔から上の感染は侮れない」です。 japanesehealth(https://japanesehealth.org/%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E9%9D%99%E8%84%88%E6%B4%9E%E8%A1%80%E6%A0%93%E7%97%87%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F-%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%97%87%E7%8A%B6%E3%81%A8%E6%B2%BB%E7%99%82%E6%B3%95/)
歯科で特に注意が必要なのは上顎臼歯・犬歯領域の感染です。 2024年に報告された症例では、77歳女性が左上顎犬歯の破折を契機に咀嚼筋間隙膿瘍を発症し、入院7日目に海綿静脈洞血栓症による両眼球突出・眼球運動障害が出現しました。上顎歯の根尖感染が翼突筋・咀嚼筋間隙を経由して直接頭蓋底へ波及する経路が存在するため、「歯科処置後の顔面腫脹+発熱」を軽視してはなりません。 cir.nii.ac(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001204912668672)
| 感染源 | 頻度 | 歯科との関連 |
|---|---|---|
| 副鼻腔炎(蝶形骨洞・篩骨洞) | 高い | 歯性上顎洞炎から波及することあり |
| 歯性感染症(根尖周囲炎・膿瘍) | 中程度 | 直接関与。上顎犬歯~臼歯域が多い |
| 眼窩蜂窩織炎 | 中程度 | 間接的に関与する場合あり |
| 顔面皮膚感染(せつ) | 低い | 鼻翼付近の処置後感染など注意 |
MRIで海綿静脈洞血栓症を見落とさないためには、発症からの時間経過(時相)を必ず考慮しなければなりません。 血栓の信号強度は時相によって劇的に変化するためです。これが基本です。 furuta-neurology(https://furuta-neurology.com/2020/08/24/venoussinusthrombosis/)
急性期(発症後おおむね5日以内)の血栓は、T1強調像で等信号、T2強調像で著明な低信号を示します。 これは赤血球内のデオキシヘモグロビンが磁化率効果を示すためで、T2強調像だけを見ると「正常な血流と同じ信号強度」に見えることがあります。意外ですね。つまり急性期はMR静脈造影(MRV)または造影CT静脈造影(CTV)が確定診断に必須となります。 ne(https://www.ne.jp/asahi/kobayashi/children-clinic/sinus_thrombosis.htm)
亜急性期(6〜15日)になると、血栓内のメトヘモグロビンの影響でT1・T2ともに高信号を示すようになり、視覚的に血栓を認識しやすくなります。 慢性期(16日以降)はT1低信号・T2等〜高信号と変化しますが、信号強度は症例によって異なるため、単一シーケンスだけでの判断は禁物です。MRVとの組み合わせが原則です。 furuta-neurology(https://furuta-neurology.com/2020/08/24/venoussinusthrombosis/)
| 時相 | T1信号 | T2信号 | 主要成分 |
|---|---|---|---|
| 急性期(〜5日) | 等信号 | 低信号⬇️ | デオキシヘモグロビン |
| 亜急性期(6〜15日) | 高信号⬆️ | 高信号⬆️ | メトヘモグロビン |
| 慢性期(16日〜) | 低信号 | 等〜高信号 | ヘモジデリン・再疎通 |
画像診断において覚えておくべき代表的なサインが2つあります。 それが「empty delta sign」と「cord sign」です。 webview.isho(https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1436204386)
Empty delta signは造影CT・造影MRIで確認される所見で、静脈洞の壁や周囲の側副血行路は造影されるのに対し、内腔の血栓部分だけが造影されない(欠損する)ために逆三角形(Δ)の中が空洞に見えるサインです。 上矢状静脈洞で最も典型的に見られますが、海綿静脈洞血栓症でも同様の原理で造影欠損像が現れます。これは使えそうです。 furuta-neurology(https://furuta-neurology.com/2020/08/24/venoussinusthrombosis/)
Cord signは単純CTで静脈洞内の血栓が高吸収域(白く)映る所見で、MRIでは磁化率強調像(SWI・T2\*WI)において皮質静脈が著明な低信号を示すことで認識されます。 DWIでは血栓内に高信号が出ることもありますが、ADCは上昇から低下まで多様なため、DWI単独での判断は避けるべきです。 webview.isho(https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1436204386)
MRVを使うと静脈洞のflow void(正常では血流により信号欠損が見られる部位)が消失または欠損しているのを確認でき、確定診断につながります。 欠損する静脈洞の範囲を評価することが治療方針の決定にも直結します。造影MRAや造影MRVは確定診断に欠かせない検査です。 www3.kufm.kagoshima-u.ac(https://www3.kufm.kagoshima-u.ac.jp/ns/pdf/second-edition-29.pdf)
参考:造影MRIでのempty delta signと脳静脈血栓症の詳細な読影基準について
脳静脈・静脈洞血栓症 | ふるた内科脳神経内科クリニック
海綿静脈洞血栓症の典型的な症状は、眼球突出・眼球運動障害(複視)・頭痛・発熱の4つです。 しかし初期は「高熱と顔面痛」「眼の充血」といった非特異的な症状から始まることが多く、歯科感染との関連が見落とされやすい点が問題です。厳しいところですね。 ja.doctortellsyou(https://ja.doctortellsyou.com/post/46182/)
歯科治療後に患者が「歯の治療は終わったのに熱が下がらない」「目の周りが腫れてきた」と訴えた場合、歯性感染の頭蓋内波及を疑う必要があります。 特に両側性の眼球突出は、感染が両側の海綿静脈洞に波及した証拠であり、緊急性が非常に高い所見です。片側から始まり24〜48時間以内に両側に広がるケースが多いとされています。 cir.nii.ac(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001204912668672)
さらに三叉神経第一・第二枝の障害による額・頬・上顎歯肉の知覚異常が出現した場合も要注意です。 歯科処置後の「なんとなく顔がしびれる」という訴えを単なる局所麻酔の影響と決めつけてはなりません。D-dimerの上昇が診断の補助になることも知られており、採血で異常値が出た場合は速やかに頭部MRI・造影CTの施行を依頼することが重要です。 apollohospitals(https://www.apollohospitals.com/ja/diseases-and-conditions/cavernous-sinus-thrombosis-symptoms-causes-and-treatment)
参考:CiNii掲載の上顎犬歯感染から海綿静脈洞血栓症に至った症例報告
治療の基本は「感染源の除去+抗生剤+抗凝固療法」の3本柱です。 歯科が直接関わる部分は感染源の除去、すなわち感染歯の根管治療・抜歯・膿瘍のドレナージです。このステップが遅れると、抗生剤・抗凝固療法の効果が出にくくなります。感染源除去が条件です。 cir.nii.ac(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001204912668672)
抗生剤はMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)を念頭に置いた広域スペクトルのものが選択されます。 黄色ブドウ球菌が原因菌として最も多いとされていますが、歯科由来の場合は連鎖球菌や嫌気性菌が混在することも多く、複数の起炎菌に対応できる抗生剤レジメンが必要です。抗凝固療法については、出血リスクがある場合でも禁忌とはならないことが多く、早期導入が予後改善に寄与するとされています。 msdmanuals(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/20-%E7%9C%BC%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E7%9C%BC%E7%AA%A9%E3%81%AE%E7%97%85%E6%B0%97/%E6%B5%B7%E7%B6%BF%E9%9D%99%E8%84%88%E6%B4%9E%E8%A1%80%E6%A0%93%E7%97%87)
上記の咀嚼筋間隙膿瘍の症例では、抗生剤投与+穿刺排膿(ドレナージ)+抗凝固療法の3者併用によって後遺症なく退院に至っています。 海綿静脈洞血栓症は「抗生剤が発達した現代でも予後不良」とされていますが、早期診断・早期介入があれば完全回復も十分に見込めます。歯科従事者が「歯科処置後の異常発熱や眼症状」を脳神経外科・耳鼻科への紹介につなげる動きこそが、この疾患の予後を大きく左右すると言えます。 cir.nii.ac(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001204912668672)
参考:感染性海綿静脈洞血栓症と歯科(Lemierre症候群関連)の臨床報告
齲歯が原因で生じた感染性海綿静脈洞血栓症とLemierre症候群の1例 | 神経学雑誌