循環腫瘍細胞(CTC:Circulating Tumor Cells)とは、原発腫瘍から離脱して血液中を循環するがん細胞のことです。がんは通常、上皮組織から発生し、基底膜を分解しながら組織浸潤を起こします。その過程で血管やリンパ管に侵入したがん細胞が血中を循環し、これがCTCとなります。
CTCは転移のプロセスにおいて重要な役割を果たしています。がん細胞が血管内に入り込み、血流に乗って体内を移動し、別の臓器で増殖することで転移が成立します。このプロセスでは、CTCが自身の細胞死を防ぎ、新たな転移巣を形成するために様々な環境に適応可能な多様な表現型を獲得します。
特に注目すべきは上皮間葉転換(EMT:Epithelial-mesenchymal transition)と呼ばれる現象です。EMTは上皮系細胞が間葉系の性質へと転換するプロセスで、これによって細胞の遊走能や浸潤能が向上します。EMTに伴い、細胞表面に発現する分子も変化し、上皮系マーカーであるEpCAM(Epithelial Cell Adhesion Molecule)の発現が低下または消失することがあります。
CTCの数は非常に少なく、血液1mlあたり約数十億個の血球に対して、わずか数個から数十個程度しか存在していないと言われています。この希少性がCTCの検出を困難にしている要因の一つです。
CTCの検出は技術的に非常に困難ですが、近年様々な検出法が開発されてきました。主な検出方法は以下のように分類できます。
特に注目されているのが、Microfluidic Chipを用いた方法(微小流路デバイス法)です。この技術は、がん細胞と血球の大きさの違いを利用して分離するもので、赤血球や白血球は細孔を通過させながら、8μmを超える大きさのがん細胞を捕捉します。この方法は、EMTを起こしてEpCAMの発現が低下したCTCも検出できるため、従来のEpCAMエンリッチ法よりも高感度であるとされています。
また、近年注目されているのがCTCクラスターの検出です。CTCは単一細胞だけでなく、複数の細胞が集まったクラスターとしても血中に存在することがあり、このCTCクラスターは単一のCTCよりも転移能が高いと考えられています。
CTCの検出・解析は、がん診療において様々な臨床応用が期待されています。主な応用分野は以下の通りです。
特に乳がん領域では、CTCの臨床的有用性に関する研究が進んでいます。2018年のサンアントニオ乳がんシンポジウムで発表されたSTIC CTC第3相臨床試験では、エストロゲン受容体陽性(ER+)、HER2陰性(HER2-)転移乳がんの一次治療として、ホルモン療法か化学療法を選択する際に、血中循環腫瘍細胞数が参考になる可能性が示されました。
また、日本遺伝子研究所の調査によると、2016年から2021年2月までにCTC検査を行った健常者1238名中のCTC数は、0個が1144名、1個が86名、2個が6名、3個が2名という結果が報告されています。健常者でもごく少数のCTCが検出されることがあるため、その数や特性の詳細な解析が重要となります。
歯科医療従事者にとって、循環腫瘍細胞(CTC)の知識がなぜ重要なのでしょうか。実は、口腔がんや頭頸部がんの診断・治療においても、CTCの検出が新たな可能性を開いています。
口腔がんは早期発見が難しいがん種の一つであり、発見時にはすでに進行している場合も少なくありません。歯科診療の場で定期的に口腔内を診察する歯科医師は、口腔がんの早期発見において重要な役割を担っています。CTCの検出技術が進歩すれば、口腔がんのスクリーニング検査として活用できる可能性があります。
また、口腔がんや頭頸部がんの治療後のフォローアップにおいても、CTCのモニタリングは再発や転移の早期発見に役立つ可能性があります。従来の画像診断では検出できない微小転移の存在を、血液検査によって早期に発見できれば、治療成績の向上につながるでしょう。
さらに、歯科治療中の出血を伴う処置が、がん患者のCTC数に影響を与える可能性についても考慮する必要があります。がん患者に対する侵襲的な歯科処置のタイミングや方法を検討する際に、CTC関連の知識が役立つかもしれません。
リキッドバイオプシー(液体生検)は、血液などの体液を用いて行うがんの検査法で、従来の組織生検と比較して低侵襲であることが大きな特徴です。CTCはリキッドバイオプシーの主要な検査対象の一つであり、他にも循環腫瘍DNA(ctDNA)やエキソソームなどがあります。
CTCを用いたリキッドバイオプシーの最大の利点は、約20ccの血液を採取するだけで検査が可能な点です。これにより、従来の組織生検では困難だった繰り返しの検査や経時的なモニタリングが容易になります。また、全身を循環するCTCを検査することで、腫瘍の不均一性(Heterogeneity)を反映した情報が得られる可能性もあります。
CTCの解析では、以下のような情報が得られます:
近年の研究では、CTCの検出だけでなく、単一細胞レベルでの遺伝子解析技術も進歩しており、より詳細な腫瘍の特性評価が可能になってきています。例えば、CTCから抽出したDNAやRNAの解析により、増殖シグナル経路、アポトーシス(細胞死)関連遺伝子、血管新生因子、転移・浸潤関連遺伝子などの発現状態を評価することができます。
これらの情報は、がん治療の個別化に大きく貢献する可能性があります。特に、PTEN、p53、p16などのがん抑制遺伝子の状態を評価することで、遺伝子治療の適応や効果予測にも役立てられるようになってきています。
また、CTCの検出・解析技術の進歩により、従来は検出が困難だった早期がんにおいてもCTCが検出できるようになってきており、早期診断への応用も期待されています。特に、定期的な健康診断の一環としてCTC検査を取り入れることで、画像診断では発見できない微小ながんの早期発見につながる可能性があります。
リキッドバイオプシーの中でもCTC検査は、がん細胞そのものを解析できる点が大きな特徴です。ctDNAが断片化したDNAの解析であるのに対し、CTCは完全な細胞として捕捉されるため、形態学的評価や機能的解析も可能です。また、CTCクラスターの検出は、転移能の高いがん細胞集団の評価につながり、より精度の高い予後予測が期待されています。
今後、CTCを用いたリキッドバイオプシー技術がさらに発展すれば、がんの早期発見から治療効果のモニタリング、再発・転移の予測まで、がん診療の様々な場面で活用される可能性があります。歯科医療従事者も、口腔がんをはじめとする頭頸部がんの診断・治療において、こうした最新技術の動向を把握しておくことが重要です。
循環腫瘍細胞の検出手法と臨床応用に関する詳細な情報はこちらで確認できます
循環腫瘍細胞検査は、まだ一般的な検査として広く普及しているわけではありませんが、今後のがん診療において重要な役割を果たすことが期待されています。特に、非侵襲的な検査法として、患者の負担を軽減しながら有用な情報を得られる点は大きな利点です。歯科医療従事者も、口腔がんの早期発見や治療後のフォローアップにおいて、こうした新しい検査法の可能性に注目していく必要があるでしょう。
がん治療は日々進化しており、循環腫瘍細胞の検出・解析技術もさらなる発展が期待されています。歯科医療の現場でも、こうした最新の医学知識を取り入れることで、より質の高い医療を提供することができるでしょう。患者さんの全身状態を考慮した包括的な歯科医療を実践するためにも、循環腫瘍細胞に関する知識は今後ますます重要になってくると考えられます。