反省文を書いていると患者影響を5倍見落とします。
歯科医療現場において、インシデントレポートは単なる事故報告書ではありません。医療の質を向上させ、患者さんの安全を守るための重要なツールです。しかし、多くの歯科医療従事者が「何をどう書けばいいのか」と悩んでいるのが現実です。
インシデントレポートの目的は、個人を責めることではなく、起きた事象から学び、同じミスを繰り返さないための改善策を見つけることにあります。そのためには、事実を正確に、わかりやすく記録することが不可欠です。
歯科医療現場では、異物の誤飲・誤嚥が全インシデントの約5割を占めるというデータがあります。リーマーやファイル、補綴物などの小さな器材が口腔内に落下するリスクは常に存在します。さらに、患者誤認や部位間違い、器材の取り違えといった事例も報告されています。
適切なインシデントレポートの書き方を身につけることで、あなた自身を守ることにもつながります。正直に報告することは、結果的に医療安全体制の強化と、自分自身の成長につながるのです。
インシデントレポートを書く際の基本は、5W1H(実際には6W1H)で事実を整理することです。
つまり基本です。
5W1Hとは、When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、Whom(誰に)、What(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)を指します。この枠組みを使うことで、第三者が読んでも状況を正確に理解できる報告書が作成できます。
具体的には、発生日時は「○月○日10時30分ごろ」のように分単位まで記載します。場所は「診療室2、ユニット3」のように特定できる情報を含めます。関与した人物は「歯科医師A、歯科衛生士B、患者C様」と明確にします。
何が起こったのかを記載する際には、推測を排除して見たままの事実だけを書きます。たとえば「患者が転倒した」ではなく「床に仰向けで横たわっている患者を発見した」と記載します。転倒したという行為を見ていない場合、それは推測になるからです。
なぜ起こったのかについては、「~と思われる」「おそらく~」といった表現は避けます。確実にわかっている事実のみを記載し、原因分析は別の欄で行います。
どのように対応したのかも重要な情報です。
「すぐに主治医に報告し、○○の指示を受けた」「患者の状態に変化は見られなかった」など、その後の経過まで含めて記載します。
多くの医療機関では、インシデント発生から48時間以内にレポート提出を求めています。記憶が鮮明なうちに正確な情報を記録することで、より質の高い報告書が作成できます。また、重要事案については24時間以内の報告を義務付けている施設もあります。
このような期限が設定されている理由は、時間が経つほど記憶が曖昧になり、事実の正確性が失われるためです。早期の報告は、迅速な対応と再発防止策の立案にもつながります。
歯科医療現場で実際に発生するインシデントの具体的な例文をご紹介します。
適切な書き方を学びましょう。
【例文1:異物誤飲のケース】
「○月○日14時15分、根管治療中にリーマー(#25、25mm)が患者の口腔内に落下した。患者は咳き込み、『何か飲み込んだかもしれない』と訴えた。
直ちに診療を中止し、主治医に報告した。
レントゲン撮影の結果、リーマーは胃内に確認された。消化器内科に連絡し、経過観察の指示を受けた。
患者には状況を説明し、謝罪を行った。
」
これは適切な記載です。時間、使用器材の詳細、患者の訴え、対応の流れが明確に記載されています。
推測や言い訳は一切含まれていません。
【例文2:患者誤認のケース】
「○月○日9時30分、患者A様(50代女性)の診察予定時に、待合室で『○○様』と呼び出しを行った。診療チェアに着席後、カルテと照合したところ、患者B様(40代女性)が着席していることが判明した。処置前に気づいたため、患者に影響はなかった。正しい患者A様を改めて呼び出し、診療を開始した。」
処置前に発見されたインシデントです。患者影響度はレベル0ですが、このような報告が積み重なることで、確認手順の改善につながります。
【例文3:薬剤取り違えのケース】
「○月○日11時、患者C様に局所麻酔を施行する際、2%リドカイン使用予定のところ、誤って4%プロピトカインを準備した。注射直前に歯科衛生士Dが気づき、指摘を受けて間違いに気づいた。正しい薬剤に交換し、患者への投与は行われなかった。薬剤の外観が類似していたこと、ダブルチェックを怠ったことが要因と考えられる。」
発見者の情報も含めて記載されています。どういうことでしょうか?当事者以外が報告する場合もあるため、誰が気づいたかは重要な情報です。
【例文4:器材破損のケース】
「○月○日15時45分、歯石除去中にエアスケーラーのチップ先端部(約3mm)が破損した。直ちに患者の口腔内を確認し、洗口を指示した。
破損片は発見されなかった。
レントゲン撮影を実施したが、口腔内・咽頭部に異物は確認できなかった。患者に状況を説明し、今後症状が出た場合は連絡するよう依頼した。
主治医に報告し、経過観察の指示を受けた。
」
異物が確認できない場合でも、実施した対応をすべて記載します。
これで大丈夫です。
【例文5:転倒発見のケース】
「○月○日16時20分、診療後にトイレに向かった患者E様(70代男性)が、待合室とトイレの間の廊下で右側を下にして横たわっているところを発見した。意識は清明で、『立ち上がろうとしてバランスを崩した』と話された。
右腰部に打撲痛があるとのこと。
直ちに医師に報告し、診察の結果、外傷はなく経過観察となった。
患者の家族に連絡し、状況を説明した。
」
転倒の瞬間を見ていない場合は「横たわっているところを発見した」と記載します。
これらの例文から、事実のみを時系列で記載することの重要性がわかります。感情や推測を入れず、誰が読んでも同じ状況をイメージできる記述を心がけましょう。
多くの歯科医療従事者が陥りがちな、インシデントレポートの不適切な書き方をご紹介します。
【NG例1:反省や言い訳が含まれているケース】
「○月○日、朝の申し送り終了後、他の患者のドレーン排液や検査出しがあり気持ちが焦っていた。申し送り前に留置針を用意したが、針の色を勘違いしていて手術では使用しない針を準備した。針に間違いはないと思い込んでいたので、挿入する前にも確認をしなかった。」
この書き方の問題点は、「気持ちが焦っていた」「思い込んでいた」といった心理状態の説明が含まれていることです。
反省は不要です。
これらは分析の段階で記載すべき内容であり、事実の記載には含めません。
修正例:
「○月○日10時、手術のため左前腕に末梢留置針を挿入した。20Gの留置針を挿入するところ22Gの留置針を挿入してしまった。手術室の看護師に申し送りの際、22Gが挿入されていると指摘され間違いに気づいた。20G針はピンクの外筒だが、青色と勘違いして22Gを準備していた。」
このように、何をすべきで何をしてしまったのか、いつ気づいたのかだけを記載します。
【NG例2:推測による記載になっているケース】
「○月○日10時ごろ、物音がして部屋に行くと、ベッドの横で転倒している患者を発見する。」
この記載では「転倒している」と断定していますが、転倒の瞬間を見ていない場合、これは推測です。気分が悪くて横になったのかもしれませんし、何らかの理由で座り込んだのかもしれません。
修正例:
「○月○日10時ごろ、物音がして部屋に行くと、ベッドの右側でドアに頭を向けた状態で仰向けに床に横になっているところを発見する。」
発見した状況を見たままに記載します。
これが基本です。
【NG例3:不要な情報が多く含まれているケース】
「○月○日14時ごろに転科転床の患者を看護師2名で迎えに行き、その病棟の看護師より患者が緊急手術後であることや酸素量の確認などを行い、患者家族を病棟に案内する。患者移送時にシリンジポンプがつながっていることに気が付くが、持続で行っていると思い確認はしなかった。
病棟到着後バイタルサイン測定を行った。
夜勤看護師が18時のバイタルサイン測定時にシーツが濡れていることに気が付き、ルートを確認するとシリンジポンプの接続が外れていた。」
物語のように経過が書かれていますが、本来すべきことと何が起こったのかが不明確です。
修正例:
「○月○日14時ごろに転床してきた患者の、シリンジポンプのルート接続確認を怠り、薬剤が投与できていない時間(約4時間)が発生した。
転床時からルートの接続確認をしなかった。
夜勤看護師が18時のバイタルサイン測定時にシーツが濡れていることに気が付き、ルートを確認するとシリンジポンプの接続が外れていた。主治医に報告し、患者の状態に変化はなかった。」
何が問題で何が起こったのかを最初に明記します。
意外ですね。
その後の経過と対応を続けて記載することで、わかりやすいレポートになります。
【NG例4:顛末が記載されていないケース】
「○月○日12時ごろ、患者Aに施行する予定だった食前のインシュリン注射2単位を間違って患者Bに施行してしまった。
実施前に患者確認を行わなかった。
」
この記載では、その後どう対応したのか、患者がどうなったのかがわかりません。
修正例:
「○月○日12時ごろ、患者Aに施行する予定だった食前のインシュリン注射2単位を間違って患者Bに施行してしまった。
実施前に患者確認を行わなかった。
すぐに主治医に報告し、2時間後に血糖測定を行うことと、低血糖症状が出現したらすぐに報告するよう指示を受けた。
その後、低血糖症状の出現はなかった。
」
患者への影響が大きい可能性のあるインシデントでは、特に顛末の記載が重要です。
顛末は必須です。
これらのNG例と修正例を比較することで、適切な記載方法が理解できます。事実のみを客観的に記載し、推測・反省・言い訳を排除することが、質の高いインシデントレポート作成の鍵です。
インシデントレポートを作成する際には、患者影響度レベルの適切な選択が求められます。
患者影響度レベルは、一般的にレベル0から5までの6段階に分類されます。これは、その失敗や間違いが患者さんの身体にどのくらい影響を与えたかという基準で判断します。レベル選択の基準を理解しておくことは、正確な報告のために欠かせません。
レベル0(ヒヤリハット)は、患者に実施される前に発見された事例です。たとえば、薬剤を準備する段階で間違いに気づき、患者への投与が行われなかった場合がこれに該当します。歯科では、患者誤認が処置前に発見された事例や、異物の口腔内落下を投与前に回収できた事例などが含まれます。
レベル0の報告は、手順や工程のどこに間違いが多いかを把握し、患者に影響が及ぶ前に予防策を講じることができるという大きなメリットがあります。ハインリヒの法則では、1件の重大事故の背景には29件の軽微な事故と300件のヒヤリハットが存在するとされています。
つまり基本です。
レベル1は、患者に実害はなかったが、何らかの影響を与えた可能性がある事例です。観察の強化や検査が必要になった場合などが該当します。たとえば、リーマーが口腔内に落下したが、すぐに発見・回収でき、患者に異常がなかった場合などです。
レベル2は、簡単な処置や治療が必要になった事例です。消毒や湿布、鎮痛剤の投与などが行われた場合がこれに該当します。
レベル3aは、濃厚な処置や治療が必要になった事例です。バイタルサインの高度な変化や入院日数の延長などが発生した場合です。
レベル3bは、永続的な障害や後遺症が残った可能性がある事例です。
レベル4は、死亡や永続的な障害、後遺症が残った事例で、レベル5は、死亡に至った事例です。
歯科医療現場でよくある誤解が、転倒転落事例のレベル選択です。すでに転倒転落してしまった患者を発見した場合、けががなかったとしてもレベル0にはなりません。転倒転落しそうな患者を支えて転倒転落を防いだ場合のみレベル0となります。
すでに転倒転落が発生している以上、打撲や心理的ショックなど何らかの影響はあると考えられるため、最低でもレベル1以上となります。
結論はレベル1以上です。
レベル選択に迷った場合は、上司や医療安全管理者に相談することをお勧めします。各医療機関で独自の基準を設けている場合もあるため、自施設の基準を確認しておくことも大切です。
適切なレベル選択は、インシデントの重症度を正確に把握し、優先的に対応すべき事例を特定するために重要です。また、統計分析を通じて、どのレベルのインシデントが多く発生しているかを把握することで、効果的な再発防止策の立案にもつながります。
インシデントレポートを効果的に活用するための実践的なポイントをまとめます。
まず、インシデントレポートは反省文や始末書ではないという認識を持つことが重要です。目的は個人を責めることではなく、起きた事象から学び、同じミスを繰り返さないための改善策を見つけることにあります。多くの医療機関では、インシデント報告をした職員に対して個人的責任を追及しないことを保証しています。
歯科医療現場において、インシデントレポートが法的に保護されていないという課題もあります。
これは必須です。
何かの形で他に開示される可能性もあるため、記載内容には客観性と正確性が求められます。感情的な表現や主観的な判断は避け、事実のみを淡々と記載しましょう。
報告のタイミングも重要です。インシデントが発生もしくは発見した場合、できるだけすぐに直属の上司に口頭で報告します。その後、48時間以内を目安にインシデントレポートを作成・提出します。重要事案については24時間以内の報告を求める施設もあります。
記憶が鮮明なうちに記録することで、より正確な情報を残すことができます。時間が経つと細かい時刻や状況の詳細が曖昧になり、正確性が失われてしまいます。
インシデントレポートの作成において、正確な数値の記載も重要です。時刻は分単位まで、投与量や器材のサイズなど、数値で表せる情報はできるだけ正確に記載します。「お昼ごろ」ではなく「12時15分ごろ」と記載することで、発生状況の把握や分析に役立ちます。
また、当事者だけでなく発見者もレポートを作成できます。
むしろ作成すべきです。
医療事故が起きたときだけでなく、起こしそうになった事例や医療事故の発生につながる可能性の高い事象を認識した場合にも、当事者以外の人が気づいた時点で記述できます。
歯科特有のインシデントとして、異物の誤飲・誤嚥が全体の約5割を占めるというデータがあります。補綴物に次いでリーマーやファイルが多く、根管治療の件数は60歳以上の高齢者層で増加しているため、今後さらにリスクが高まる可能性があります。このような統計データを把握しておくことで、日常の診療でより注意を払うべきポイントが明確になります。
インシデントレポートを書いた後は、それで終わりではありません。リスクマネージャーや医療安全管理者が内容を確認し、必要に応じて追加の情報収集や分析が行われます。定期的に開催される医療安全委員会などで事例が共有され、再発防止策が検討されます。
自分が報告したインシデントが、院内のルールやシステムの改善につながることもあります。たとえば、薬剤の外観が類似していることが原因で取り違えが発生した場合、保管場所の変更やラベルの工夫といった具体的な対策が実施されることがあります。
インシデントを起こしてしまった場合、心理的な負担を感じるのは自然なことです。一人で抱え込まず、同僚や先輩に相談することも大切です。同じ医療従事者として、その気持ちを理解してくれる人は必ずいます。
最後に、インシデントレポートの活用によって、歯科医療全体の質が向上します。公益財団法人日本医療機能評価機構では、医療事故情報収集等事業として全国の医療機関からインシデント情報を収集し、分析結果を公開しています。個々の医療機関だけでなく、業界全体で情報を共有し、医療安全を向上させる取り組みが進められています。
公益財団法人日本医療機能評価機構 医療事故情報収集等事業
こちらのサイトでは、歯科治療中の異物誤飲・誤嚥事例や部位間違い事例など、具体的な分析結果が公開されています。定期的にチェックすることで、他施設での事例から学び、自施設での予防策を検討する参考になります。
インシデントレポートは、医療安全文化を育むための重要なツールです。正直に報告することは、結果的に患者さんの安全を守り、自分自身を守ることにもつながります。適切な書き方を身につけ、質の高い医療の提供に貢献していきましょう。