BIS値が40〜60の範囲内でも、術中覚醒が100%防げるわけではありません。
歯科情報
BISモニター(Bispectral Index Monitor)は、患者の前額部に4つのシール型電極を貼付し、2チャンネルで脳波を測定する機器です。その脳波信号を複数の統計的解析法と膨大な臨床データで処理し、催眠・鎮静の深さを0〜100の数値(BIS値)で示します。つまりBIS値は「実測値」ではなく「推定値」です。
これが非常に重要な点です。BIS値は血圧や心拍数と異なり、直接測った数字ではありません。イソフルラン、プロポフォール、チオペンタール、ミダゾラムなどを使用した大量の臨床データをもとにした企業独自の計算式から算出されており、その計算式自体は非公開とされています。
歯科臨床においてBISモニターが活躍するのは、主に静脈内鎮静法(IV sedation)の場面です。静脈麻酔薬(ミダゾラムやプロポフォールなど)の効き方は同じ体重の患者でも個人差が非常に大きく、同量を投与しても深い鎮静状態に入る患者もいれば、ほぼ覚醒した状態の患者もいます。「いま患者さんがどの程度鎮静されているか」を数値で把握できる点が、BISモニターの最大の強みです。
BISモニター導入前は経験と勘に頼る部分が大きかった鎮静管理が、BIS値という客観的指標を得ることで大きく改善されました。これは使えそうです。ただし後述するように、数値を盲信することには危険が伴うことも覚えておく必要があります。
BISモニターが表示する主な項目は以下の通りです。
この4つのパラメータを組み合わせて読むことが、bisモニターを正しく活用するための基本です。
参考:BISモニターを用いた歯科鎮静管理の詳細(原田歯科医院)
https://haradashika.jp/chiryo/bis%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%8E%AE%E9%9D%99%E7%AE%A1%E7%90%86/
BIS値の正常値として広く知られているのは「40〜60」という範囲です。これは全身麻酔の維持として無意識が保証され、かつ迅速な覚醒が期待できるとされる水準です。数値のイメージとしては、100段階の温度計のうち40〜60度の「ぬるい帯域」に入れておく感覚です。
ただし歯科の静脈内鎮静法はこれとは異なります。岩手医科大学の研究をはじめとする複数の報告では、静脈内鎮静法における至適BIS値は65前後と報告されています。全身麻酔の40〜60よりも高い帯域で「ちょうどよい鎮静」が得られるという点は意外ですね。これは歯科の静脈内鎮静が完全な意識消失を目指すのではなく「意識はあっても治療を覚えていない・不快感を感じない」レベルの鎮静を目標にしているためです。
以下に代表的なBIS値の範囲ごとの臨床的意味をまとめます。
| BIS値 | 状態の目安 | 臨床的意味 |
|---|---|---|
| 90〜100 | 完全覚醒 | 通常の意識状態 |
| 80〜90 | 軽度〜中等度鎮静 | 覚醒の可能性あり |
| 70〜80 | 中等度〜深い鎮静 | 強い侵害刺激に反応することがある |
| 65前後 | 歯科静脈内鎮静の至適範囲 | 意識はあるが不快感・記憶が生じにくい |
| 40〜60 | 全身麻酔の適正範囲 | 無意識が保証され迅速な覚醒が期待できる |
| 40未満 | 深麻酔レベル | 過度の鎮静・循環抑制リスクが高まる |
| 0 | 脳波平坦 | SR=100%の状態 |
75以上では術中覚醒の危険性があるとする報告もある一方で、BIS値を40〜60に保っても術中記憶を100%防げるわけではないことが複数の研究で示されています。結論はBIS値はあくまで「鎮静推定値」です。絶対的な基準ではなく、バイタルサインや患者の臨床所見と組み合わせて判断することが原則となります。
参考:手術医療の実践ガイドライン(改訂第三版)日本手術医学会
http://jaom.kenkyuukai.jp/images/sys/information/20210616135951-48BD57DC717273CD728785686C6592D9FF323FBF97D4BAC7ECA952EB16C01D2B.pdf
BIS値だけを見ていると、大きな判断ミスを起こしかねません。これはBISモニターの専門家が繰り返し強調するポイントです。BIS値には必ずSQI・EMG・SRという3つの補助指標を同時に確認する習慣が必要です。
まずSQI(信号品質指標)について解説します。SQIは脳波信号のうち何%が正常に解析されているかを示します。SQIが50%未満になると画面表示が白黒反転してアラートを示し、15%未満ではBIS値自体が表示されなくなります。SQIが低い状態でのBIS値は信頼できません。SQI50%以上が安定したBIS値読み取りの最低条件です。
次にEMG(筋電図)です。脳波の周波数(50Hz以下)と筋電図の周波数(70Hz以上)は近いため、顔面筋や咬筋が緊張すると筋電図がノイズとしてBIS値に混入し、実際よりBIS値が高く表示されてしまいます。歯科処置中は特に注意が必要です。たとえばミダゾラムで中程度に鎮静している状態(BIS値70〜80)でも、EMGノイズが混入することで実際の数値より5〜10程度高く表示されることがあると報告されています。EMGが高い場合、BIS値の上昇が「麻酔が浅い」からなのか「ノイズ混入」なのかを慎重に区別する必要があります。
SR(サプレッション比)は1分間の脳波のうち平坦脳波(振幅±5μV以内が0.5秒以上継続した部分)の割合を示します。SRが0%なら正常、上昇してくると深麻酔や低体温、脳虚血のサインである可能性があります。SRが高い状態は危険信号です。
3指標を組み合わせれば、「BIS値が上昇しているが、EMGが高く・SQIが低い」→ノイズが原因の可能性大、「BIS値が上昇していて、SQIが高くEMGも低い」→真に麻酔が浅くなっている可能性大、といった判断ができるようになります。これが正確な鎮静管理の基本です。
参考:BISモニターのパラメータを詳しく解説(高知大学麻酔科資料)
https://www.kochi-u.ac.jp/kms/fm_ansth/member/morpdf/20100922.pdf
BISモニターの算出に使われた元データは、イソフルラン・プロポフォール・チオペンタール・ミダゾラム・フェンタニルといった特定の薬剤の組み合わせが中心です。つまり、それ以外の薬剤ではBIS値の信頼性が変わることがあります。意外ですね。
特に注意が必要なのは笑気(亜酸化窒素)です。笑気はGABAA受容体ではなくNMDA受容体に作用するため、吸入麻酔薬やベンゾジアゼピン系薬のように「高振幅徐波化」という典型的な脳波変化を示しません。むしろ速波化する場合があります。このためBIS値には笑気の鎮静効果がほとんど反映されないことがわかっています。歯科では笑気吸入鎮静法も頻繁に使われますが、笑気を使用しているからといってBIS値が下がることは期待できません。
同様にケタミンもNMDA受容体拮抗薬であり、BIS値が正確に評価できない可能性があります。ケタミンは逆に脳波を速波化させるため、十分な鎮静効果があってもBIS値が上昇するという逆説的な現象が起こり得ます。BIS値が高くても安易に薬剤を増量するのはダメです。特にケタミン使用中は要注意です。
さらにオピオイド(フェンタニルやレミフェンタニルなど)を鎮静薬と併用するバランス鎮静の場合、刺激に対して応答しなくなるBIS値が「オピオイドを使わない場合より有意に高い」ことが報告されています。つまり、BIS値が比較的高くても(例:70前後でも)オピオイドが効いていれば実際には記憶が残らない状態になっている可能性があります。この点は歯科でも局所麻酔と静脈鎮静を組み合わせる場面で意識しておくべき事実です。
使用薬剤ごとの特性をBIS値に重ねて理解することが、正確な麻酔深度管理の実現につながります。薬剤の種類が条件です。BISだけに頼らず、使用薬剤と脳波波形を組み合わせた総合評価が求められます。
参考:脳波モニタリングと麻酔薬の関係(麻酔科1年生ブログ)
https://anesth-beginner.com/bis/
術中覚醒とは、全身麻酔や深い鎮静中に患者が術中の出来事を記憶として残してしまう現象です。問題なのは「覚醒すること」ではなく「記憶が残ること」です。痛みや恐怖の記憶が残った場合、術後PTSD(心的外傷後ストレス障害)につながることも報告されており、患者にとって非常に深刻な問題です。
BIS値を40〜60に保っても術中覚醒を100%防げないことは複数の研究で示されています。厚生労働省の研究データによれば、術中覚醒はBIS値だけで完全に防ぐことはできず、使用薬剤の適切な濃度維持が最重要とされています。痛いところです。
歯科静脈内鎮静においても術中覚醒リスクは存在します。特に侵害刺激(抜歯・切開など)が加わると、いくら深い鎮静状態であっても脳波が低振幅速波化してBIS値が上昇することがあります。これはParadoxical Arousal現象(逆説的覚醒反応)と呼ばれ、侵害刺激によって脳波が予想外の変化を示す現象です。侵害刺激による脳波変化は予測不能です。十分な鎮痛が不可欠ということです。
具体的な対策として、まず局所麻酔との併用が最も重要です。歯科処置では必ず局所麻酔(キシロカイン等)を確実に効かせてから処置に入ることで、侵害刺激の入力そのものをブロックできます。鎮静だけで痛みをコントロールしようとすることは、薬剤過剰投与につながるうえ安全を保証できません。
また術前に患者の麻酔薬感受性について情報を得ることも大切です。術中覚醒の既往がある患者は脳波が徐波化しにくく、BIS値も下がりにくいという特性があるとされています。このような患者では、通常より慎重な薬剤投与管理が求められます。BIS値だけ覚えておけばOKではなく、患者背景の把握も含めた総合的な対応が安全管理の実践です。
加えて、処置中にBIS値が突然上昇したとき、パニックにならず「何が原因か」を冷静に確認する手順をあらかじめチームで共有しておくことが重要です。まずSQIとEMGを確認し、ノイズ由来でないかを判断してから薬剤追加を検討する、このフローを事前に決めておくことが安全な鎮静管理につながります。
BISモニターは非常に有用なツールですが、あくまで「プラスアルファ」の補助モニターです。生体情報モニタ(呼吸・循環)とBISモニターを組み合わせることで、鎮静の質は確実に向上します。これが基本原則です。
参考:術中覚醒と脳波モニタリング(東京大学研究情報)