抗凝固薬服用患者に止血目的でトラネキサム酸を処方できます
トラネキサム酸は抗プラスミン作用により線溶系を抑制する薬剤です。具体的には、プラスミノゲンがプラスミンに変換される過程を阻害し、フィブリン分解を抑制することで止血効果を発揮します。
この作用機序から「血液が固まりやすくなる」という誤解が生まれやすいのですが、実際のメカニズムは異なります。トラネキサム酸は新たに血栓を作るのではなく、既に形成された血栓の分解を遅らせる「血栓の安定化」という働きをします。つまり、健康な状態の血液を固まらせる作用はありません。
血栓を安定化するということですね。
歯科臨床では、抜歯後の止血管理において1日750mg(250mgカプセル3錠)程度を7~10日間内服させることが一般的です。この投与量は美容目的や肝斑治療で使用される量と同等であり、低用量に分類されます。
添付文書上は「血栓のある患者(脳血栓、心筋梗塞、血栓性静脈炎等)及び血栓症があらわれるおそれのある患者」への投与は注意喚起されていますが、これは既に血栓が存在する患者において、その血栓が溶けにくくなるリスクを考慮したものです。
健康な患者への投与では問題ありません。
ただし、術後の臥床状態にある患者や圧迫止血の処置を受けている患者では、静脈血栓を生じやすい状態であるため、離床や圧迫解除に伴い肺塞栓症を発症した例が報告されています。これらの患者では特に慎重な経過観察が必要です。
医学的なエビデンスから見ると、トラネキサム酸による血栓症のリスクは想像以上に低いことが分かっています。血栓症の発症リスクは通常、年間で1万人あたり1~5人程度であり、トラネキサム酸の服用によってこの数値が劇的に上昇するわけではありません。
具体的なデータとして、肝斑治療に使用される低用量のトラネキサム酸(1日750~1500mg)では、血栓の有害事象はほとんど報告されていないという事実があります。これは健康な成人女性に対する長期投与でも同様の結果です。
つまり低用量なら安全です。
一方で、過多月経などの治療に対する高用量トラネキサム酸の内服では、一定の注意が必要とされています。JADERデータベース(日本の副作用報告システム)の解析では、トラネキサム酸が被疑薬として報告された症例のうち、静脈血栓塞栓症(VTE)が54例、動脈血栓塞栓症が8例確認されました。
しかし、これらの症例の多くは高用量投与や既往歴のある患者での報告であり、歯科治療で使用する投与量・投与期間では同様のリスクは極めて低いと考えられます。
1日1000mgのトラネキサム酸を1年程度投与した臨床試験では、血栓症のリスクが上がらなかったという報告もあります。これは歯科での一般的な使用量(1日750mg、7~10日間)を大きく上回る条件です。
歯科処方量は安全範囲内です。
特筆すべきは、出産時におけるトラネキサム酸の使用データです。妊娠・出産は血栓を起こしやすい状態として知られていますが、WOMAN試験(約2万人の産後出血患者を対象とした大規模臨床試験)では、トラネキサム酸投与群とプラセボ群で動脈血栓塞栓イベント(心筋梗塞または脳卒中)の発生率に差がありませんでした。
実際の発症頻度(絶対リスク)は非常に低く、短期投与(典型的には数日~数週間)での使用が中心となる歯科診療では、過度な心配は不要です。ただし、患者背景や併用薬のチェックは必須です。
歯科診療においてトラネキサム酸を処方する際、絶対に避けなければならない患者層が明確に定められています。添付文書上の禁忌事項を正確に理解することは、医療事故を防ぐ上で不可欠です。
まず最も重要な併用禁忌薬は「トロンビン」です。トロンビンは血液凝固を直接促進する止血剤であり、トラネキサム酸と併用すると血栓形成のリスクが著しく高まります。トロンビンは外科手術や消化管出血の治療で使用されることがあるため、患者の服薬歴を必ず確認してください。
血栓の既往歴がある患者も高リスク群です。
具体的には以下の疾患・状態の患者への投与は慎重に判断する必要があります。脳血栓、心筋梗塞、血栓性静脈炎などの既往歴がある患者では、血栓を安定化させるリスクがあるため、原則として投与を避けます。これらの患者では、既に血栓ができやすい体質や血管の状態であることが多く、トラネキサム酸の作用により血栓が溶けにくくなる可能性があります。
消費性凝固障害(DIC)のある患者も禁忌です。DICは全身の血管内で微小血栓が多発する重篤な病態であり、この状態でトラネキサム酸を投与すると、抗凝固療法を併用していない場合に血栓が安定化して症状が悪化するリスクがあります。
腎機能障害患者は用量調整が必須です。
トラネキサム酸は主に腎臓から排泄されるため、腎機能が低下している患者では血中濃度が上昇し、痙攣などの副作用が出る可能性があります。特に透析患者では、痙攣リスクが高いことが知られており、投与量を減らすか、投与自体を避けることが推奨されます。eGFR値を確認し、必要に応じて内科医と連携してください。
ピル(経口避妊薬)や女性ホルモン剤を服用している女性患者も注意が必要です。ピル自体に血栓リスクがあり、トラネキサム酸との併用で理論的にはリスクが相乗的に増加する可能性があります。特に35歳以上、喫煙者、BMI高値の女性では血栓リスクがさらに高まるため、併用は慎重に判断します。
40代以上はピルとの併用は禁止です。
実際の臨床では、若年の健康な女性への短期使用であれば、ピルとトラネキサム酸の併用が「絶対禁忌」とは言えないという見解もありますが、安全性を最優先する観点から、代替薬の検討や使用期間の短縮を考慮すべきです。
抗凝固薬(ワルファリン、DOAC)を服用中の患者については、後述しますが、内服投与と局所投与(含嗽)では対応が異なります。全身投与は慎重に判断する必要がありますが、局所的な使用は推奨されているケースもあります。
抗凝固薬を服用している患者に対してトラネキサム酸を使用できるかという問いは、歯科臨床で最も悩ましい判断の一つです。結論から言えば、局所投与(含嗽)は推奨されており、内服投与も状況によっては可能です。
抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン(2025年版)では、抗凝固薬(ワルファリンやDOAC)を中止せずに歯科治療を行う場合の補助として、トラネキサム酸の使用が推奨されています。特に5%トラネキサム酸液での含嗽は、抜歯直後から4~5日間継続することで、抗凝固薬服用患者の術後出血リスクを大幅に低減できることが報告されています。
含嗽は安全かつ効果的です。
具体的な使用方法としては、5%トラネキサム酸シロップ(500mg/5mL製剤)を口に含んですすぐ方法が推奨されます。これは局所的な止血効果を得る目的であり、全身への影響は最小限に抑えられます。歯科用として250mg/100mL溶液も用意されており、術後の含嗽指導に活用できます。
内服投与については、より慎重な判断が求められます。抗凝固薬を服用している背景には、心房細動や静脈血栓症などの既往があることが多く、これらの患者では血栓形成リスクが元々高い状態です。そのため、トラネキサム酸の内服が血栓を安定化させる可能性を考慮しなければなりません。
ただし、ガイドライン上は「原則大丈夫」とされています。実際の臨床研究でも、抗凝固薬とトラネキサム酸の併用による血栓イベントの有意な増加は報告されていません。むしろ、抗凝固薬を中断することによる血栓リスクの方が、併用による血栓リスクよりも高いとされています。
併用のメリットが上回ります。
抗凝固薬服用患者への処方時には、以下のポイントを確認してください。まず、PT-INR値(ワルファリン服用患者の場合)が治療域内にコントロールされているかを確認します。通常、PT-INR 3.0未満であれば抜歯は可能とされています。DOACを服用している患者では、最終服用時刻と処置のタイミングを考慮し、可能であれば服薬から12時間以上経過した時点で処置を行うことが推奨されます。
また、患者が服用している抗凝固薬の種類と用量を正確に把握し、必要に応じて処方医と連携してください。特に急性深部静脈血栓症または肺塞栓症の治療中の患者は、治療開始後1~3週間は標準量より高用量のDOACを服用していることがあり、出血リスクが高まるため注意が必要です。
処方医への相談が重要です。
トラネキサム酸の投与量については、通常の止血目的と同様に1日750mg(250mgカプセル3錠)を分3で7~10日間投与することが一般的です。ただし、腎機能低下がある患者では用量調整が必要であり、eGFR値に応じて減量します。
局所的な止血対策も併用することで、トラネキサム酸の内服量を減らすことができます。酸化セルロースなどの局所止血材の使用、確実な縫合、圧迫止血の徹底など、基本的な止血手技を丁寧に行うことが前提です。
歯科診療では短期処方が中心となりますが、患者が他科で長期服用している場合や、繰り返し処方する必要がある場合には、休薬期間について理解しておく必要があります。市販薬と医療用医薬品では推奨される使用期間が異なるため、注意が必要です。
市販のトラネキサム酸製剤(トランシーノEXなど)では、「2ヶ月服用した後、2ヶ月の休薬期間を設ける」という使用方法が明記されています。これは臨床試験期間が8週間で効果を確認したためであり、2ヶ月を超える連続服用時の安全性データが限られていることが理由です。
市販薬は休薬が必須です。
一方、医療機関で処方されるトラネキサム酸は、医師の管理のもとで長期服用が可能です。肝斑治療などで使用される場合、6ヶ月程度までは継続投与しても問題ないとされていますが、それを超える場合には定期的な休薬期間を設けることが推奨されます。
具体的には、3ヶ月服用後に1ヶ月の休薬期間を設けるという方法が一般的です。これは血栓リスクを最小限にするための予防的措置であり、必須ではありませんが、安全性を重視する観点から推奨されています。
休薬は安全性向上のためです。
トラネキサム酸を2年間内服した試験では、治療期間が長くなるほど改善率が高くなることが示されており、長期投与自体に問題があるわけではありません。ただし、定期的な血液検査で腎機能や凝固系のモニタリングを行うことが望ましいとされています。
歯科診療における一般的な処方期間は7~10日間であり、これは極めて短期間の使用に該当します。抜歯後の止血管理や口内炎治療など、通常の歯科治療でトラネキサム酸を処方する場合、休薬期間を考慮する必要はほとんどありません。
歯科の短期処方は問題ありません。
ただし、患者が既に他科でトラネキサム酸を服用している場合には、重複投与にならないよう確認が必要です。特に美容皮膚科で肝斑治療を受けている女性患者や、耳鼻科で鼻出血の治療を受けている患者では、既にトラネキサム酸を服用している可能性があります。
問診時に「現在、他の病院で薬をもらっていますか」という質問に加えて、「肌のシミの治療や鼻血の治療で薬を飲んでいませんか」と具体的に聞くことで、重複投与を防ぐことができます。既に服用中の場合は、局所投与(含嗽)のみにするか、他科の処方医と連携して調整してください。
抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン2025年版には、トラネキサム酸を含む止血補助療法の具体的な推奨方法が記載されています。
このガイドラインは、抗凝固薬・抗血小板薬服用患者の歯科治療における標準的な対応を示しており、トラネキサム酸の使用についても詳細な推奨レベルとエビデンスが記載されています。歯科医師として、このガイドラインの内容を把握しておくことは、安全な診療を行う上で極めて重要です。
ガイドライン参照は必須です。
投与期間については、出血のリスクが落ち着くまで継続し、通常は術後3~5日で中止できます。患者に対しては「出血が完全に止まったら服用を中止して構いません」と伝えることで、不必要な長期服用を避けることができます。