舌痛症は、口腔内に明らかな病変がないにもかかわらず、舌や口腔粘膜に持続的な痛みを感じる疾患です。国際頭痛分類第3版では「口腔内灼熱症候群(バーニングマウス症候群)」として中枢性顔面痛の一つに分類されています。全人口の0.7~3%に発症するとされており、特に更年期以降の女性に多く見られることが特徴です。
舌痛症の痛みは、ヒリヒリ・ピリピリとした灼熱感や刺すような痛みとして表現されることが多く、通常は起床時から就寝時まで持続します。しかし、食事中や何かに集中している時には痛みが軽減するという特徴があります。また、睡眠中には痛みを感じないことも特徴的です。
診断は、口腔内に痛みを引き起こす他の疾患をすべて除外した後に下される「除外診断」となります。つまり、舌痛症と診断された時点で、悪性疾患などの可能性は否定されていると言えるでしょう。
舌痛症の原因として最も可能性が高いと考えられているのが、ストレスや心理的要因です。舌痛症の患者さんには、不安やうつ傾向を伴っている方が多く、心理社会的なストレスが痛みを増悪させることが知られています。
仕事や家庭での不安、不快な出来事などが舌痛症のトリガー(誘因)となることがあります。実際に、舌痛症患者の多くは、発症前に強いストレスを経験していることが報告されています。
ストレスによって体内では様々な変化が起こります。特に「HPA軸(視床下部-下垂体-副腎軸)」と呼ばれる内分泌系を介して、ストレスホルモンの分泌が増加します。これが痛みの調節にかかわるモノアミン系に影響を及ぼし、痛みの感覚を変化させる可能性があります。
また、最近の研究では、脳のMRIを用いた検査により、舌痛症患者では痛みを調整する脳の機能に変化が生じていることも明らかになっています。これは、ストレスや心理的要因が中枢神経系に影響を与え、痛みの感覚を変化させている可能性を示唆しています。
舌痛症が更年期以降の女性に多く見られることから、性ホルモンの変動が発症に関与している可能性が指摘されています。特に閉経後の女性における有病率は12~18%とも言われており、男性と比較して圧倒的に多いのが特徴です。
閉経後の舌痛症患者では、唾液中の卵胞ホルモン(エストロゲン)が減少していることが知られています。エストロゲンは痛みの感覚に関与する神経伝達物質の調節にも関わっているため、その減少が痛みの閾値を下げている可能性があります。
また、更年期に伴う自律神経の乱れも舌痛症の発症に関与していると考えられています。自律神経の乱れは唾液分泌の減少を引き起こし、口腔内の乾燥(ドライマウス)につながります。口腔内が乾燥すると粘膜が刺激に敏感になり、痛みを感じやすくなるのです。
しかし、ホルモン異常が舌痛症の発症にどのように関与しているのか、その詳細なメカニズムはまだ完全には解明されていません。ホルモン補充療法が舌痛症の症状改善に効果を示す例もありますが、すべての患者に有効というわけではないようです。
舌痛症の原因として、特定の栄養素の不足も指摘されています。特に亜鉛、ビタミンB群(B2、B6、B12)、鉄分などの欠乏が舌痛症の発症に関与している可能性があります。
亜鉛は味覚や粘膜の健康維持に重要な役割を果たしています。亜鉛が不足すると、舌の粘膜が薄くなり、刺激に敏感になることがあります。亜鉛を多く含む食品としては、牡蠣や牛肉、卵黄などが挙げられます。
ビタミンB群も口腔粘膜の健康維持に重要です。特にビタミンB2(リボフラビン)は粘膜の再生に関与し、不足すると口内炎や舌炎を引き起こすことがあります。ビタミンB2を多く含む食品には、レバー、納豆、牛乳、うなぎなどがあります。
ビタミンB6(ピリドキシン)も神経機能の維持に重要で、不足すると神経痛様の症状を引き起こすことがあります。サンマやマグロなどの魚類に多く含まれています。
ビタミンB12や葉酸の欠乏は悪性貧血を引き起こし、舌痛の原因となることがあります。特にビタミンB12は主に動物性食品に含まれるため、菜食主義者は不足しやすいとされています。
これらの栄養素が不足している場合、適切な食事療法やサプリメントの摂取により症状が改善することがあります。しかし、栄養素の不足だけが原因ではなく、他の要因と複合的に作用している可能性が高いため、総合的なアプローチが必要です。
舌痛症の患者さんでは、口腔内の感覚にわずかな変化が生じていることが近年の研究で明らかになっています。詳細な感覚検査を行うと、口腔内でわずかに感覚の鈍麻が起こっていることが報告されています。
また、舌痛症患者の舌の組織を調べた研究では、味を感じる味蕾(みらい)が消失しており、味蕾に至る細い神経線維が著しく少なくなっていることが示されました。これは、舌に分布する鼓索神経という感覚神経の機能異常を示唆するものです。
このような研究結果から、舌痛症は「神経障害性疼痛」と呼ばれる神経自体の傷害に基づく病変ではないかと考える研究者もいます。神経障害性疼痛は、神経が損傷を受けた後に生じる異常な痛みで、通常の鎮痛剤が効きにくいという特徴があります。
口腔内の乾燥(ドライマウス)も舌痛症の原因として考えられています。唾液には口腔粘膜を保護する働きがあり、唾液の分泌が減少すると粘膜が刺激に敏感になります。唾液分泌の減少は、加齢、薬の副作用、シェーグレン症候群などの自己免疫疾患、ストレスなど様々な要因で起こります。
また、不良な補綴物(義歯や被せ物)や歯の鋭縁が舌に刺激を与え、慢性的な炎症を引き起こすことも舌痛症の原因となり得ます。このような場合は、歯科治療により改善することがあります。
舌痛症では、免疫系の応答にも変化が現れることが最近の研究で明らかになっています。舌痛症の患者さんでは、リンパ球の一種であるCD8(+)細胞数が減少し、CD4/CD8比が上昇することが報告されています。
また、唾液中のCD14やToll様受容体といった細菌の内毒素に反応する自然免疫系の活性が亢進していることも知られています。これらの変化は、内分泌系の変調に伴って免疫系にも変化が生じていることを示唆しています。
免疫系の変化は炎症反応に影響を与え、痛みの感覚を増強する可能性があります。特に慢性的な低レベルの炎症(微小炎症)が、神経の感作を引き起こし、通常では痛みを感じない刺激でも痛みとして感じるようになる「アロディニア」という状態を引き起こす可能性があります。
また、自己免疫疾患との関連も指摘されています。シェーグレン症候群などの自己免疫疾患では、唾液腺や涙腺が攻撃され、口腔乾燥や舌痛を引き起こすことがあります。舌痛症の患者さんでは、自己免疫疾患の発症率が高いという報告もあります。
さらに、口腔内の微生物叢(マイクロバイオーム)の変化も舌痛症の発症に関与している可能性があります。口腔内の細菌バランスの乱れが、粘膜の微小炎症を引き起こし、痛みの感覚を増強する可能性が考えられています。
このように、舌痛症の発症には免疫系の変化も関与している可能性があり、今後の研究によってさらなる解明が期待されています。免疫系の変化に着目した新たな治療法の開発も進められており、将来的には舌痛症の効果的な治療法が確立されることが期待されます。
舌痛症は単一の原因ではなく、ストレス、ホルモン異常、栄養素不足、神経障害、免疫系の変化など、複数の要因が複雑に絡み合って発症すると考えられています。そのため、治療においても多角的なアプローチが必要とされています。
患者さん一人ひとりの症状や背景因子を詳細に評価し、個々の状況に合わせた治療計画を立てることが重要です。また、舌痛症は心身両面からのケアが必要な疾患であり、歯科医師、内科医、精神科医などの多職種連携による包括的な治療が望ましいと言えるでしょう。