付着歯肉幅が2mm未満だと根面被覆率が半減します。
歯肉弁歯冠側移動術は、歯肉退縮により露出した歯根面を被覆するために開発された歯周形成外科手術です。この術式は歯周ポケットの除去と根面被覆という二つの目的を同時に達成できる点で優れています。
手術の基本的な流れとしては、まず手術野の清掃と消毒、局所麻酔を行います。次にフラップ手術と同様の切開を加え、歯根面の平滑化と徹底的な清掃を実施します。露出歯根部とほぼ同じ大きさの歯肉歯槽粘膜を形成するために縦切開を入れ、粘膜骨膜弁を骨から剥離して歯冠側方向へ移動させます。
最終的に目的とする歯根面上で懸垂縫合を行い、手術部位をスズ箔等で覆って歯周パックを施します。約10~14日後に抜糸とパックの除去を行うという流れです。
この術式の最大の特徴は、手術創が1ヵ所で済むという点です。つまり、移植組織を別の部位から採取する必要がないため、患者さんの負担が軽減されます。また、術後の歯肉の色調が周囲組織と自然に調和するという審美的なメリットもあります。
有茎弁移植であるため、移植片への血液供給が良好に保たれます。これが術後の治癒を促進し、良好な予後につながるわけです。
付着歯肉の幅は、歯肉弁歯冠側移動術の成否を左右する最も重要な因子の一つです。1972年にLangとLöeが発表した古典的研究では、2mmの角化歯肉(そのうち1mmが付着歯肉)が存在すれば、歯周組織の約80%で健康が維持されることが報告されました。
しかし、現在のバイオロジックウィズ(生物学的幅径)の概念からすると、この基準は必ずしも十分ではありません。最新の知見では、必要な角化歯肉の幅は最低3.5mm、理想的には4mm以上とされています。これは角化歯肉から遊離歯肉の1mmを差し引いた付着歯肉幅で考えると、2.5~3mm以上が望ましいということです。
付着歯肉が不足している状態で歯肉弁歯冠側移動術を実施すると、どのような問題が生じるでしょうか。まず、歯肉弁を歯冠側に移動させる際の緊張が強くなり、縫合後の安定性が低下します。結果として、術後に歯肉弁が根尖側に後戻りしやすくなり、期待した根面被覆率が得られないことがあります。
また、付着歯肉が薄い場合、術後の組織の安定性が損なわれます。歯肉が動きやすい状態では、ブラッシングや咀嚼などの日常的な刺激によって再び歯肉退縮が進行するリスクが高まります。
実際の臨床研究でも、1980年代以降に歯肉弁歯冠側移動術の成功率が向上したという報告がありますが、これは術式の改良とともに、適切な症例選択、特に付着歯肉幅の評価が重視されるようになったことが大きく関係しています。
付着歯肉の臨床的意義と数値基準について詳しく解説されている資料
歯肉弁歯冠側移動術を成功させるには、適応症と禁忌症を正確に見極めることが不可欠です。適応となるのは、歯根露出が数歯にわたっている場合で、それぞれの部位に十分な付着歯肉の幅がある症例です。
具体的には、歯肉退縮が軽度から中程度で、隣接する歯肉に十分な厚みと幅がある場合に良好な結果が得られます。Miller分類ではClassⅠやClassⅡ、Cairo分類ではRT1(Recession Type 1)が最も良い適応とされています。
Miller分類のClassⅠは、歯肉退縮が歯肉歯槽粘膜境(MGJ)を超えていない状態で、歯間部の骨や軟組織の喪失がない場合です。ClassⅡは退縮がMGJを超えているものの、やはり歯間部の組織喪失がない状態を指します。
一方、Cairo分類のRT1は、歯間部の付着喪失が存在せず、歯間乳頭が正常な位置にある状態です。これらの分類に該当する症例では、完全根面被覆の可能性が高く、予後も良好です。
禁忌症としては、強度の歯根露出がある場合と付着歯肉が不十分な場合が挙げられます。付着歯肉幅が1mm未満の症例では、歯肉弁を歯冠側に移動させても十分な緊張緩和が得られず、縫合の安定性が著しく低下します。
また、骨が大きく欠損している症例や、歯肉・骨が極端に薄い症例も禁忌です。こうした状況では、術後の審美的障害が大きくなる可能性があります。歯冠と歯根の長さのバランスが悪い症例も、術後に歯が異常に長く見えるなどの審美的問題が生じやすいため注意が必要です。
禁忌症に該当する場合でも、後述する結合組織移植術との併用や、遊離歯肉移植術による付着歯肉の増大を先行させることで、適応症に変えられることがあります。
歯肉退縮の程度を正確に評価することは、根面被覆の予後を予測し、適切な術式を選択するために極めて重要です。前述のMiller分類とCairo分類は、どちらも根面被覆の予知性を示すために開発されました。
Miller分類のClassⅢは、歯肉退縮がMGJを超え、なおかつ歯間部の骨や軟組織の喪失が一部存在する状態です。ClassⅣでは歯間部の組織喪失が重度に及びます。ClassⅢでは部分的な根面被覆が期待できますが、完全被覆は困難とされています。ClassⅣになると根面被覆はほぼ不可能です。
Cairo分類のRT2(Recession Type 2)は、歯間部の付着喪失が歯根面側の付着喪失よりも小さい状態を指します。RT3では歯間部の付着喪失が歯根面側と同等かそれ以上に進行しています。RT2では部分的な根面被覆が可能ですが、RT3では根面被覆が著しく困難になります。
移動できる歯肉の幅には限度があることから、被覆する部位は狭くて浅い方が成功率が高くなります。歯肉退縮の深さが3mm以下で幅が2mm以下の場合、完全根面被覆率は80%以上と報告されていますが、深さが5mm以上になると50%以下に低下します。
歯間部の骨レベルも重要な評価ポイントです。歯間乳頭の高さは、隣接する歯の接触点から歯槽骨頂までの距離に依存します。この距離が5mm以内であれば歯間乳頭は保存されやすく、根面被覆も良好な結果が得られやすくなります。
術前の診査では、プロービングによる歯周ポケットの測定、付着歯肉幅の測定、歯肉の厚みの評価、歯槽骨の形態評価を総合的に行います。歯肉の厚みは、歯周プローブを軽く挿入して透けて見えるかどうかで簡易的に判定できます。透けて見える場合は薄い歯肉型(thin biotype)、見えない場合は厚い歯肉型(thick biotype)と判断します。
近年の歯周形成外科では、歯肉弁歯冠側移動術単独ではなく、結合組織移植術(CTG: Connective Tissue Graft)との併用が標準的なアプローチになりつつあります。この併用術式は、付着歯肉が不足している症例でも良好な結果を得られる可能性を高めます。
システマティックレビューやメタアナリシスによると、CTGを併用した場合の完全根面被覆率は、歯肉弁術単独と比較して有意に高いことが報告されています。具体的には、歯肉弁単独では60~70%程度の完全根面被覆率に対し、CTG併用では75~85%まで向上するというデータがあります。
併用術式の利点は複数あります。まず、移植された結合組織が歯肉の厚みとボリュームを増加させることで、歯肉弁の緊張を緩和し、歯冠側への移動を容易にします。また、移植組織が根面との間に新たな結合組織性付着を形成することで、長期的な組織の安定性が向上します。
審美的な観点からも、CTG併用は優れています。歯肉の厚みが増すことで、歯根の凹凸が目立ちにくくなり、より自然な歯肉のラインが再現されます。特に上顎前歯部のような審美領域では、この効果は極めて重要です。
手術の手順としては、まず口蓋部から結合組織グラフトを採取します。採取部位は通常、上顎小臼歯から第一大臼歯の口蓋側で、歯肉の厚みが十分にある部位を選択します。採取した結合組織は、受容部の歯肉弁を部分層で剥離して作ったポケット内に挿入し、固定します。
その後、歯肉弁を歯冠側に移動させて縫合します。この際、移植片が露出しないように、歯肉弁で完全に被覆することが重要です。移植片が露出すると壊死のリスクが高まり、治癒不全につながります。
最近では、エナメルマトリックスタンパク質(EMD)などの生物学的材料を併用する術式も報告されています。EMDを根面に塗布してからCTGと歯肉弁歯冠側移動術を行うことで、歯根膜組織の再生が促進され、より強固な付着が得られる可能性があります。
ただし、CTG併用には注意点もあります。口蓋部からの組織採取により、ドナー部位に疼痛や不快感が生じることがあります。また、採取できる組織量には限界があるため、広範囲の歯肉退縮に対応するには複数回の手術が必要になることもあります。
術後管理も重要です。移植組織が生着するまでの約2~3週間は、手術部位への過度な刺激を避ける必要があります。軟らかい食事を摂り、ブラッシングは慎重に行います。
また、禁煙は必須です。
喫煙は血流を悪化させ、移植組織の生着不全のリスクを大幅に高めます。
保険診療の観点では、歯肉弁歯冠側移動術は1歯につき770点(令和6年度改定)で算定できます。ただし、歯冠側へ歯肉弁を移動させ露出した歯根面の被覆を目的として行った場合に限られます。結合組織移植術を併用する場合、多くは自費診療となりますが、施設によっては保険適用の範囲内で工夫して実施されることもあります。
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長期的な予後を考えると、術後のメインテナンスが成功の鍵を握ります。定期的な歯周組織の評価、適切なプラークコントロールの指導、咬合調整などを継続的に行うことで、再発を防ぎ、良好な状態を維持できます。患者さんへの十分な説明と協力体制の構築が、最終的な治療成績を左右するということです。