歯科では実はブピバカインを使えません。
ブピバカインを有効成分とする局所麻酔薬には、複数の商品名が存在します。日本国内で承認されている主要な製剤は、マーカイン、ポプスカイン、そしてロピバカインを含むアナペインの3種類です。
それぞれの商品には化学構造上の違いがあります。マーカインはラセミ体(R体とS体の混合物)のブピバカイン塩酸塩水和物を含有しており、1969年から日本で販売されている歴史ある製剤です。製造販売元はサンドファーマで、0.125%、0.25%、0.5%の3つの濃度規格があります。
ポプスカインは2008年に薬価収載された比較的新しい製剤で、レボブピバカイン塩酸塩という純粋なS体(-)のみを含有しています。丸石製薬が製造販売しており、0.25%と0.75%の濃度があります。S体のみで構成されるため、ラセミ体のマーカインと比較して心血管系への副作用が少ないとされています。
アナペインはロピバカイン塩酸塩水和物を有効成分とする製剤で、こちらも100%S体で構成されています。2001年に日本で発売され、ブピバカインと同様に長時間作用性の特徴を持ちながら、心毒性がより低いという利点があります。ロピバカインはブピバカインに比べて脂質親和性が低いため、心筋への影響が穏やかです。
つまり3つの基本形態があります。
各商品の濃度規格には、使用目的に応じた明確な区別があります。マーカイン注は0.125%、0.25%、0.5%の3種類が基本で、さらに脊椎麻酔用として高比重の0.5%製剤も存在します。
濃度の違いは麻酔効果の強さと作用範囲に直接影響します。0.125%の低濃度製剤は主に術後鎮痛や持続的な硬膜外麻酔に使用され、運動神経への遮断作用が比較的弱いため、患者の早期離床が可能です。10mLバイアルで薬価は125円と、3つの濃度の中では最も低価格です。
0.25%製剤は伝達麻酔や硬膜外麻酔に広く使用される標準的な濃度です。痛覚神経を十分に遮断しながらも、運動神経への影響を最小限に抑えられます。10mLバイアルで薬価は143円となっています。
0.5%の高濃度製剤は、より強力な神経遮断が必要な場合に選択されます。
10mLバイアルで薬価は188円です。
脊椎麻酔用の高比重製剤は、ブドウ糖を添加することで脳脊髄液よりも比重を高くし、麻酔範囲のコントロールを容易にしています。この製剤は4mLアンプルで薬価は296円と高額ですが、確実な麻酔効果が得られます。
ポプスカイン0.25%注は25mg/10mL規格で薬価は1,024円、0.75%注は75mg/10mL規格で薬価は1,663円です。マーカインと比較して価格は高いですが、心毒性のリスクが低減されているため、高リスク患者への使用において安全性の面でメリットがあります。
結論はコスト優先ならマーカインです。
ブピバカイン製剤が歯科麻酔薬として一般的なリドカインと大きく異なるのは、作用持続時間の長さです。リドカインの浸潤・伝達麻酔における作用時間が約60分であるのに対し、ブピバカインは3~6時間持続します。
これは約3~6倍の差です。
作用時間の違いは、薬剤の脂溶性と組織への親和性に起因します。ブピバカインの脂質親和性はリドカインよりも著しく高く、神経組織に強く結合するため、長時間にわたって局所麻酔効果を維持できます。この特性により、長時間の手術や術後疼痛管理に適しています。
一方で作用発現時間には違いがあります。リドカインは注入後数分で効果が現れる速効性を持つのに対し、ブピバカインの作用発現には約15~30分を要します。このため、緊急処置や短時間の治療にはリドカインが優先されます。
血中最大濃度到達時間も異なります。ブピバカインを硬膜外麻酔や伝達麻酔に使用した場合、血中最大濃度時間は30~40分です。その後、血中濃度は3~6時間かけて減少していきます。成人におけるブピバカインの半減期は3.5±2.0時間で、新生児では8.1時間とさらに長くなります。
リドカインは表面麻酔作用を持ちますが、ブピバカインには表面麻酔効果がありません。粘膜表面に塗布しても効果が得られないため、注射による投与が必須となります。
効果時間重視ならブピバカインです。
ブピバカイン製剤を選択する際、最も重要な考慮事項の一つが心毒性のリスクです。心毒性の強さは、ブピバカイン(ラセミ体)>レボブピバカイン>ロピバカインの順番になります。
マーカインに含まれるラセミ体のブピバカインは、血管内への誤投与時や大量投与時における心毒性が強いことが問題視されてきました。痙攣が発現する投与量と心停止が発現する投与量の差が少なく、安全域が狭いという特徴があります。ブピバカインは脂質親和性が高く、心筋のナトリウムチャネルへの作用が強く持続的であるため、高用量の静脈内投与時に不整脈を誘発しやすいのです。
ポプスカインのレボブピバカインは、ブピバカインのS(−)体のみを精製した製剤です。R体を含まないため、心臓のカリウムチャネルおよびナトリウムチャネルに対する作用がラセミ体よりも弱く、心毒性も軽減されています。臨床試験では、ブピバカインと同等の鎮痛効果を持ちながら、心血管系への影響が少ないことが確認されています。
アナペインのロピバカインは、ブピバカインに比べて脂質親和性が低く設定されています。心筋ナトリウムチャネルへの作用が弱いS体であるため、不整脈誘発作用が最も弱いとされています。ただし、同じ麻酔効果を得るには、ブピバカインやレボブピバカインの1.3~1.5倍の用量が必要です。
心毒性のリスクは、中枢神経系の興奮症状(口周囲のしびれ、金属味、耳鳴り、めまい、痙攣など)として最初に現れることが多く、これらの症状が出現した場合は心停止の前兆として注意深く観察する必要があります。
安全性重視ならロピバカインですね。
記事冒頭で述べたように、日本の歯科臨床においてブピバカイン製剤は基本的に使用できません。これは薬事承認上の適応症に歯科治療が含まれていないためです。
マーカイン注の承認されている効能・効果は「伝達麻酔、硬膜外麻酔」のみです。マーカイン注脊麻用は「脊椎麻酔」の適応を持ちます。ポプスカインは「硬膜外麻酔、術後鎮痛(0.25%製剤のみ)、伝達麻酔」が承認されています。いずれも歯科・口腔外科領域での浸潤麻酔や伝達麻酔の適応は取得していません。
この制限の背景には、リスクとベネフィットのバランスがあります。歯科治療の多くは短時間で終了するため、3~6時間も持続する長時間作用性麻酔薬を使用する必要性が低いのです。一般的な歯科処置では、リドカインやメピバカインなど、1~2時間程度の作用時間を持つ麻酔薬で十分対応できます。
長時間の麻酔は患者にとってデメリットにもなります。治療後も口唇や舌の感覚が数時間失われるため、誤って咬傷を負うリスクが高まります。また、食事や会話にも支障をきたし、日常生活への影響が大きくなります。
心毒性のリスクも考慮すべき要因です。歯科で使用される局所麻酔薬の投与量は比較的少量ですが、血管内への誤注入の可能性は常に存在します。ブピバカインは前述の通り、痙攣発現量と心停止発現量の差が小さいため、万が一の事態により重篤な結果を招く可能性があります。
ただし例外的な状況も存在します。大学病院や総合病院の口腔外科で、全身麻酔下での長時間手術や、術後の持続的な疼痛管理が必要な場合には、医師の判断で適応外使用されることがあります。この場合も、厳格な全身管理のもとで使用され、心電図モニターなどによる監視が必須となります。
歯科では代替薬を使います。
ブピバカイン製剤を安全に使用するには、適切な保管と取り扱いが不可欠です。すべてのブピバカイン製剤は室温保存が基本で、冷蔵庫での保管は不要です。マーカイン注の有効期間は3年間と設定されています。
特に重要なのは開封後の取り扱いです。マーカイン注には製品開封後の使用期限が設定されていません。これは、開封後はできるだけ早く使用することを意味しています。バイアル製剤の場合、使用前にゴム栓部分をエタノール綿で十分に清拭し、粉塵汚染のない清潔な場所で保管する必要があります。アンプル製剤は開封後直ちに使用し、残余の薬液は必ず廃棄しなければなりません。
ブピバカイン製剤には金属を侵す性質があります。このため、金属器具(注射針、匙など)に長時間接触させないことが推奨されています。金属器具を使用した場合は、使用後に十分に水洗することが必要です。この特性を知らないと、器具の劣化や薬液の変質を引き起こす可能性があります。
投与方法にも厳格な制限があります。ブピバカインは局所静脈内麻酔(Bier's block)として投与してはいけません。この方法では薬剤が急速に全身循環に入り、重篤な心毒性を引き起こすリスクが極めて高いためです。また、傍頸管ブロックとしての投与も禁止されています。
患者の選択も重要です。
大量出血やショック状態の患者には禁忌です。
過度の血圧低下が起こる危険があります。注射部位またはその周辺に炎症がある患者、敗血症の患者にも使用できません。化膿性髄膜炎や敗血症性髄膜炎を引き起こす可能性があるためです。
アミド型局所麻酔薬に対する過敏症の既往歴がある患者にも禁忌です。ブピバカインはアミド型麻酔薬であり、リドカインやメピバカインなど他のアミド型麻酔薬とのアレルギー交差反応を起こす可能性があります。
誤投与を防ぐための確認作業として、投与前に必ず試験的注入(テストドーズ)を行い、血管内への誤注入がないことを確認します。注射の速度はできるだけ遅くし、患者の反応を注意深く観察しながら投与することが推奨されています。
蘇生設備の準備も必須条件です。ブピバカイン投与時は、万が一の中毒症状や心停止に備えて、心肺蘇生のための設備と薬剤(脂肪乳剤を含む)を直ちに使用できる状態にしておく必要があります。脂肪乳剤は局所麻酔薬中毒の解毒剤として有効性が認められており、ブピバカインによる心停止の際には標準的な心肺蘇生に加えて投与が推奨されています。
金属との接触は避けましょう。
マーカイン注の詳細な添付文書情報はこちら(KEGG医薬品データベース)
ポプスカインの臨床試験データと安全性情報はこちら(丸石製薬公式サイト)
レボブピバカインの開発経緯と副作用軽減のメカニズムはこちら(日経メディカル)