三叉神経痛の患者の約84%が、最初に脳神経外科ではなく歯科医院を受診しています。
微小血管減圧術(MVD:Microvascular Decompression)とは、脳の血管が神経を圧迫することによって生じる三叉神経痛・片側顔面けいれん・舌咽神経痛などに対して行われる、現時点で唯一の根治的手術です。耳の後ろの後頭部を3〜4cmほど切開し、頭蓋骨に1円玉よりも小さい直径1.5cmの穴を開けて、神経を圧迫している血管をスポンジ(テフロン)で固定・離すことで症状を根本から取り除きます。
三叉神経とは、顔面の感覚(皮膚・歯・歯茎・口腔粘膜)と咀嚼筋の運動を支配する、12本ある脳神経のうち最も太い神経です。第1枝(眼神経)・第2枝(上顎神経)・第3枝(下顎神経)の3つに枝分かれしており、この神経が根元で血管に圧迫されると、電気が走るような、焼け火箸を押し当てられるような激痛が顔の片側に繰り返して生じます。つまり根治するには圧迫を除くしかないということです。
MVDの治癒率は、三叉神経痛で約90%、顔面けいれんで約95%と非常に高い水準にあります(藤田医科大学ばんたね病院データ)。一般的な入院期間は9〜10日間、手術時間は1〜1時間半程度と、脳外科手術の中では比較的短時間で完結するのも特徴です。重要なのは、この手術が「技術力の差が治療成績に直結する」という性質を持つ点で、執刀医の経験が合併症率・再発率に大きく影響します。
参考:国立循環器病研究センターによる三叉神経痛・顔面けいれんの解説
三叉神経痛・顔面けいれん|病気について - 国立循環器病研究センター
三叉神経痛の第2枝・第3枝(上顎・下顎領域)に痛みが出る場合、患者自身はまず「歯が痛い」と認識します。洗顔・歯磨き・食事などの日常動作で激痛が誘発されることから、虫歯・歯髄炎・顎関節症と誤認されやすいのです。これは実は歯科業界全体で非常に重要な問題です。
2025年にJournal of Multidisciplinary Healthcare誌に発表された研究によれば、神経外科病院で三叉神経痛と診断された104例のうち88例が「最初に歯の痛み」として誤診されており、そのうち55例(全体の約53%)が不要な抜歯を受けていました。さらに致命的なのは、抜歯を受けた患者の92.7%で症状の改善が見られなかったという点です。
| 項目 | 数値 |
|------|------|
| 三叉神経痛患者のうち歯痛と誤診された割合 | 88/104例(約85%) |
| 誤診後に不要な抜歯を受けた割合 | 55/88例(約63%) |
| 抜歯後も症状が改善しなかった割合 | 92.7% |
誤った診断で抜歯が行われると、患者は健康な歯を失いながら痛みが続くという最悪の状況に追い込まれます。また別の報告では、最終的に典型的三叉神経痛と診断された患者の64%がその他の疾患と誤診され、61%が歯科治療を受けていたという数字も示されています(J-Stage掲載論文)。これは歯科従事者に直接関係する数字です。
三叉神経痛を疑うポイントは、①電撃・電気が走るような鋭い痛みが数秒〜数分で消える、②食事・歯磨き・触れるだけで誘発される「引き金帯(トリガーゾーン)」がある、③発作間欠期には全く無症状、④虫歯や歯周病など歯原性の原因が見当たらない、の4点です。こうした特徴が揃っている患者をスクリーニングし、速やかに脳神経外科へ紹介できるかどうかが、歯科従事者の重要な役割となります。
参考:三叉神経痛患者への誤診・不要な抜歯に関する研究(CareNet掲載)
三叉神経痛患者の誤診による不要な抜歯、88人中55人に実施 - CareNet
参考:三叉神経痛症例のMR脳画像と臨床所見(J-Stage掲載論文)
MVDは「開頭範囲を大きくすれば、熟練した技能がなくてもある程度の結果が出せる」という性質から、多くの施設で実施されています。しかし問題なのは、年間症例数が極めて少ない施設でもこの手術が行われている現実です。
全米305施設における調査データでは、三叉神経痛・顔面けいれん・舌咽神経痛のMVDを含めた死亡率は0.3%とされており、そのうち75%が「年間に1例のみしかこの手術を行っていない施設」で発生していたことが示されています(日本神経治療学会の標準的神経治療ガイドライン)。つまり低症例数の施設ほどリスクが高くなるということです。
では、名医を選ぶための具体的な判断基準を整理します。
① 年間症例数の確認
MVDに特化した施設では年間100例以上を手がけるところもあります。たとえば藤田医科大学ばんたね病院のMVDセンターは、2025年に三叉神経痛116例・片側顔面けいれん118例の計235例を実施し、過去5年間(2021〜2025年)の合計では794例という実績を持ちます。年間30例以上の施設を一つの目安とするケースが多く、症例数は公式サイトや病院情報サービスで確認できます。
② 内視鏡・低侵襲技術の有無
神経内視鏡を用いた手術では、切開部を3〜4cm、開頭直径を1.5cmと最小限に抑えながら、4Kモニターで深部を詳細に観察できます。通常の顕微鏡手術よりも深部の圧迫血管を確認しやすく、合併症リスクの低減につながります。低侵襲技術を取り入れているかどうかは施設選びの重要な指標です。
③ テフロン充填方法などの手技の細部
2026年の最新研究(CareNet)では、細切りテフロンを使用した群はプレジェット(綿状)挿入群と比べて再発率が4.54% vs 16.36%と大幅に低く、合併症率も9.09% vs 14.55%と優位に改善していることが示されました。再発率は手技の細部に左右されるということです。こうした最新エビデンスを取り入れているかどうかが、名医かどうかの一つの尺度となります。
参考:ばんたね病院MVDセンターの実績データ
MVDセンター - 藤田医科大学 ばんたね病院(2025年実績)
参考:微小血管減圧術の再発率と手技の差に関する最新研究
三叉神経痛の微小血管減圧術、細切りテフロンが再発率を有意に低下 - CareNet(2026年)
国内でMVDの名医として広く知られるのが、湖東記念病院脳神経外科主任部長の井上卓郎医師です。1991年から30年以上の臨床経験を持ち、故・福島孝徳医師(デューク大学名誉教授、「神の手」として世界的に有名)に師事してMVD技術を習得。これまでに2,000例以上のMVDを含む7,000例以上の脳外科手術を手がけています。「Best Doctors in Japan(2014-2015、2018-2019、2022-2023)」にも選出されており、国際的な評価も高い医師です。
井上医師の特徴は、「最小の皮膚切開・極小開頭による短時間手術」を実現している点にあります。術後2日目で退院できた症例もあるほどです。また湖東記念病院は都市部から離れた立地でありながら、国内外から患者が訪れる専門施設として機能しており、エジプト・インドネシアなど海外でも現地指導・手術を行うなど国際的な活動を続けています。
昭和大学病院(清水医師)では、脳ベラ(脳を押し広げる器具)を使わない仰臥位でのMVDを1985年から続けており、その方法を論文として発表しています。脳への負担を最小化するための独自の工夫がなされている施設です。東京女子医科大学附属病院も顔面けいれんに対して年間10〜20例の手術を行い、90%前後の奏効率を報告しています。また済生会和歌山病院は、医科・歯科問わず紹介を受け付ける三叉神経痛専門外来を開設しており、歯科との連携窓口として機能している点が注目されます。
チーム医療の整備状況も重要な観点です。診療看護師・検査技師・臨床工学士などの多職種が三叉神経痛・顔面けいれんに特化した専門知識を持っているかどうかが、手術の安全性と術後回復に直結します。
参考:井上卓郎医師の公式プロフィールと手術実績
Takuro Inoue MD, PhD. 井上卓郎|湖東記念病院脳神経外科主任部長(公式サイト)
参考:東京女子医科大学によるMVDの解説(顔面けいれん・三叉神経痛)
微小神経血管減圧術(三叉神経痛・顔面けいれん)- 東京女子医科大学
MVDを受けた患者が歯科医院を受診するケースは、実は珍しくありません。術後回復期の患者は、手術の影響で一定期間、顔面のしびれや口腔周囲の感覚変化を感じることがあるからです。これは合併症の一種であり、最も多い術後合併症として顔面のしびれ(麻痺に近い感覚)が報告されています(再手術の場合は101例中68.7%に発生)。
こうした患者が「顔がしびれる」「歯茎の感覚がおかしい」「口腔内の感覚が変わった」といった訴えで来院したとき、歯科疾患と混同しないことが求められます。術後の経過観察中であることを確認し、必要であれば執刀医に問い合わせるか、症状が進行している場合は速やかに脳神経外科へ紹介する判断が必要です。術後の口腔内管理でも連携が求められるということです。
また、MVD後に三叉神経痛が再発したケースでは、超音波ガイド下での眼窩下神経ブロックなど、歯科・ペインクリニック領域の処置が補助的に行われることがあります(J-Stage掲載事例)。これは口腔外科・ペイン専門歯科と脳神経外科が連携して行う治療として、徐々に注目されています。
MVDの術後患者には、咀嚼機能の回復確認や義歯・補綴物の調整が必要になる場面もあり、そこでも歯科の役割は大きいといえます。こうした患者への対応力を高めるためにも、歯科従事者がMVDの概要と術後の経過を理解しておくことは非常に実用的です。
参考:MVD後に再発した三叉神経痛への超音波ガイド下神経ブロックの事例