固定式リテーナーをつけたままのMRI検査は、撮影部位が頭部でも脳画像への影響はほぼありません。
固定式リテーナー(フィックスリテーナー)は、矯正治療後の後戻りを防ぐため、前歯の裏側に細いワイヤーをコンポジットレジンで接着した装置です。主な素材はオーステナイト系ステンレス鋼(クロム約18%・ニッケル約8%含有)で、これは強磁性体ではなく、常磁性体または非磁性体に分類されます。
MRI装置は1.5テスラ(T)〜3.0テスラという、地球磁場の約3万〜6万倍もの強力な磁場を発生させます。しかし、オーステナイト系ステンレスは磁石に強く引き寄せられる性質(強磁性)を持たないため、装置が動いたり飛んだりするリスクは非常に低いとされています。つまり安全性の面では原則として問題ありません。
ただし、製造過程での加工硬化によりわずかに磁性を帯びる場合もあります。その程度はMRI撮影に支障をきたすレベルではないことが多いものの、一律に「完全に安全」と言い切ることには慎重さも求められます。これは覚えておくべき点です。
歯科従事者として患者さんへの説明で重要なのは、「危険かどうか」よりも「画像診断に影響が出るかどうか」という視点へ切り替えることです。安全性と画像品質は別の問題として整理しておく必要があります。
参考:固定式リテーナーの素材・安全性について
最も重要な臨床的問題は、アーチファクト(画像の乱れ・歪み)です。MRI撮影中、ステンレス素材が電磁波を反射・散乱させることで、周辺の画像が不明瞭になる現象を指します。アーチファクトが生じると、診断に必要な部位が正確に描写されません。
アーチファクトの影響範囲は「撮影部位とリテーナーの距離」に大きく左右されます。
| 撮影部位 | アーチファクトの影響 | 対応の目安 |
|---|---|---|
| 脳(頭部) | 影響はほぼなし〜軽微 | 装着のまま撮影可能なことが多い |
| 顎関節・口腔周囲 | アーチファクトが生じやすい | MRI担当医と要事前協議 |
| 頸部(首) | 中程度の影響あり | 撮影範囲に応じて要確認 |
| 胸部・腹部・腰部 | 影響なし | 装着のまま撮影で問題なし |
特に顎関節や口腔内の疾患・外傷でMRIが必要になる症例では、固定式リテーナーが画像の大部分を覆ってしまうことがあり、診断そのものが不可能になるケースも存在します。逆に言えば、腹部や腰部の検査であれば気にする必要はありません。
3.0テスラのMRIは1.5テスラと比べて磁場強度が2倍であり、得られる画像の解像度は上がる一方で、金属アーチファクトの影響範囲も拡大しやすい傾向があります。施設によって使用する装置が異なるため、「どの装置で撮影するか」も確認のポイントになります。これは意外と見落とされがちです。
参考:アーチファクトと矯正装置の関係
矯正治療中のMRI検査について詳しく解説(大宮SHIN矯正歯科)
MRI担当医から「取り外してほしい」と指示が出た場合、歯科医院が対応することになります。ここで重要なのが、固定式リテーナーは一度除去すると再利用できないという点です。除去後に同じワイヤーを再接着することはできないため、新しいワイヤーを製作・装着する必要があります。
再装着にかかる費用は医院によって異なりますが、一般的には5,000円〜20,000円程度が目安とされています。矯正治療費に含まれているケースもありますが、追加費用として請求する医院も多く、患者さんへの事前説明が必要です。費用の説明は必須です。
また、リテーナーを外している期間中は後戻りのリスクが高まります。特に矯正治療終了から間もない時期(概ね1〜2年以内)は歯が最も動きやすく、数日〜数週間でも位置が変化することがあります。MRI検査から再装着まで時間が空くほど、そのリスクは蓄積します。
📋 取り外しが必要になった際の対応フロー。
なお、緊急でMRI撮影が必要になった場合(脳梗塞・外傷など)は、リテーナーの除去を待つ時間的余裕がないこともあります。そのような場面では代替検査(CT等)との使い分けを医療機関側と協議することになります。歯科医院側ができることには限界があるため、日頃から連携先の医療機関と情報共有しておくことが理想的です。
固定式リテーナーを装着した患者さんがMRI検査を受ける可能性は、保定期間中(平均2〜3年)に限らず、長期装着を選択した患者さんには数十年にわたり存在します。つまり、リテーナー装着中のすべての患者さんが潜在的な対象者です。
歯科医院での日常的な問診や保定確認の際に、「MRI検査の予定はありますか?」という一言を加えるだけで、事前トラブルを大幅に減らせます。これは使えそうです。
以下に、患者説明で使える具体的なポイントをまとめます。
インフォームドコンセントの観点から、矯正治療終了時や保定開始時の説明書にこれらの情報を明記しておくことも有効です。口頭説明だけでは忘れられることが多く、文書での補足が患者満足度と医院の信頼性向上につながります。
参考:矯正歯科とMRIに関する臨床的解説
矯正歯科治療とMRI注意点まとめ(FACE AND TALK矯正歯科)
一般向けの情報では触れられることが少ない、臨床現場特有の盲点を整理します。知っているかどうかで患者対応の質が変わる情報です。
1. リンガルブラケット(裏側矯正)との混同リスク
固定式リテーナーは歯の裏側にあるため、MRI担当医が問診票でリテーナーの存在に気づかないケースがあります。患者さん自身も「矯正は終わった」と認識しており、「矯正器具は入っていない」と回答してしまうことがあります。実際には装置が残っているのに申告漏れが発生する、という構造的な問題です。
歯科医院側が「このリテーナーはMRI検査時に申告が必要です」と繰り返し指導することが、この申告漏れを防ぐ唯一の手段です。
2. 固定式リテーナーを外したことで後戻りが起きた際の責任の所在
MRI担当医の指示で除去した場合でも、後戻りが発生したとき、患者さんが「歯科医が外したから歯が動いた」と認識するケースがあります。除去前に後戻りリスクを文書で説明し、同意を得ておくことは医療リスク管理の観点から非常に重要です。口頭だけでは不十分です。
3. 再装着の遅延が招くトラブル
MRI後に「そのうち行けばいいか」と患者さんが再装着を先延ばしにすることがよく起きます。再装着まで2〜4週間が経過すると、歯の位置変化が進み、元のワイヤーサイズでは対応できなくなることがあります。再装着のタイミングは早いほど良いという点を、除去時に強調して伝えることが現場では欠かせません。
4. 固定式リテーナーの素材確認の重要性
近年では、従来のステンレス製に加えて、グラスファイバー強化型やポリエチレン繊維製の固定式リテーナーも使用されています。これらは金属を含まないため、MRIに関してはアーチファクトの心配がほぼありません。使用素材によって患者説明の内容が変わる点を、担当者全員が把握しておく必要があります。
参考:矯正装置の種類とMRI撮影の対応方針
歯列矯正中にMRIを撮影しても大丈夫?矯正装置は外さないとダメ?(ポーラスター矯正歯科センター北)