漢方は「病名」ではなく「証」で処方するため、非定型顔面痛には効かないと思っていませんか?
非定型顔面痛(Persistent Idiopathic Facial Pain:PIFP)は、以前「非定型顔面神経痛」とも呼ばれていた疾患です。現在では国際頭痛分類(ICHD)において「持続性特発性顔面痛」として正式に定義されており、3か月以上、1日に2時間以上、ほぼ毎日繰り返す顔面・口腔内の痛みで、神経学的脱落症状を伴わないものとされています。
つまり「異常なし」と言われても痛みは本物、ということです。
痛みの性質は深在性の鈍痛・圧迫感が多く、「じんわり痛い」「うずくような」「締め付けられる」といった多彩な表現がとられます。三叉神経痛のようにトリガーポイントや発作性の鋭い痛みはなく、むしろ心理社会的要因・疲労・感情変化などで悪化しやすい点が特徴です。歯科臨床ではこの特徴が見落とされやすく、非歯原性であるにもかかわらず抜髄や抜歯が行われてしまうケースが後を絶ちません。
日本口腔顔面痛学会の診療ガイドラインによると、PIFPと診断されるまでの平均期間は101か月(約8.4年)に上ります。これはおよそ「小学校入学から中学卒業まで」と同じ年月です。その間に36%の患者が不必要な抜歯を受けているというデータは、歯科従事者にとって非常に重い事実です。
| 項目 | 三叉神経痛 | 非定型顔面痛(PIFP) |
|---|---|---|
| 痛みの性質 | 電撃様・鋭い | 深在性・鈍痛・灼熱感 |
| 持続時間 | 数秒〜2分以内 | 1日2時間以上、連日 |
| トリガーポイント | あり | なし |
| 誘発因子 | 触刺激・咀嚼 | 疲労・感情・気圧変化 |
| 神経支配との一致 | あり | なし |
| カルバマゼピン | 有効 | 無効〜不十分 |
この鑑別ポイントを押さえることで、「三叉神経痛として治療していたが実はPIFP」というすれ違いを防ぐことができます。北里大学東洋医学総合研究所の症例報告でも、三叉神経痛の診断でカルバマゼピン投与を受け、無効・増悪した後に漢方外来を受診したPIFP症例が複数確認されています。
歯科臨床において難治とされる非定型顔面痛について詳細な情報を提供する、日本口腔顔面痛学会の診療ガイドラインはこちらです。
非歯原性歯痛の診療ガイドライン改訂版|一般社団法人 日本口腔顔面痛学会
西洋医学では、PIFPに対して三環系抗うつ薬や抗てんかん薬(プレガバリン等)が用いられますが、副作用(傾眠・ふらつき等)や効果不十分により継続できない患者は少なくありません。そのような難治例のすくい上げとして、漢方が注目されています。
重要なのは「漢方は病名で処方しない」という原則です。
漢方薬は「口腔顔面痛」という診断名に対して処方するものではなく、患者個々の「証(しょう)」に応じて選ぶものです。証とは、気・血・水の偏りや虚実・寒熱の状態を総合的に判断した「体質・病態のパターン」のことです。この点を理解していないと、同じ「非定型顔面痛」の患者に対して一律に同じ漢方薬を試してしまい、効果が出ない、という結果になりがちです。
北里大学東洋医学総合研究所の漢方外来で行われた12年間(1998〜2010年)の検討では、「顔面痛」を主訴とした症例のうち帯状疱疹後神経痛を除外した22例について、痛みの消失が36%(8例)、改善が50%(11例)という結果が報告されています。合計86%の症例で何らかの改善が得られており、しかも効果発現は平均7.8週という比較的短期間でした。難治例に対してもこれほどの結果が出るのは、漢方独自の「証」診断の精度に依るところが大きいといえます。
漢方の問診で特徴的なのは、「どこが痛むか」以上に「いつ・どんな状況で痛むか」を重視するという点です。北里大の文献でも明示されていますが、「寒冷刺激で悪化する」「天気が悪い日に増悪する」「疲労が蓄積すると悪化する」といった誘発・増悪因子が、処方選択の重要な鍵になります。これはピンポイントで「歯が痛い部位はどこか」という歯科的問診とは根本的に異なる視座です。
この「証」の見立てさえ正確なら、PIFPのみならず、舌痛症・口腔乾燥症・三叉神経痛など幅広い口腔顔面痛に対して漢方が有効になり得ます。
非定型顔面神経痛の漢方的アプローチ「いつ痛むか」重視|北里大学東洋医学総合研究所
非定型顔面痛の漢方治療において、どの処方が使われるかは患者の証によって大きく異なります。処方は一つではありません。
以下に、臨床報告で実際に奏効した代表的な処方を証ごとに整理します。
| 証のパターン | 代表処方 | 特徴的な症状・体質 |
|---|---|---|
| 寒証・寒冷悪化型 | 桂姜棗草黄辛附湯(けいきょうそうそうおうしんぶとう) | 寒さ・冷風・気圧変化で悪化、慢性疲労感 |
| 寒証・冷え型(麻黄不耐) | 当帰四逆加呉茱萸生姜湯 | 胃腸が弱く麻黄を含む処方が使いにくい寒証 |
| 肝鬱・イライラ型 | 抑肝散、抑肝散加陳皮半夏 | 怒りやすい、不眠、神経が高ぶる、腹部動悸 |
| 心脾両虚・不安型 | 加味帰脾湯 | 思慮過多、食欲低下、不眠、後悔しがち |
| 胃寒・嘔気型 | 呉茱萸湯 | 冷えると悪化、嘔気・頭痛を伴う |
| 神経質・気滞型 | 半夏厚朴湯、烏薬順気散 | きちょうめんな性格、喉の違和感、ストレス |
| 駆瘀血型 | 桂枝茯苓丸、烏頭桂枝湯 | 血流障害・月経不順・下腹部の抵抗・圧痛 |
| 熱証型 | 立効散、半夏瀉心湯 | 熱っぽい痛み、口の中の炎症感 |
ここで注意が必要なのが「桂姜棗草黄辛附湯」についてです。寒証で冷風や気圧変化・疲労で悪化するタイプに第一選択とされますが、この処方には麻黄が含まれています。麻黄は胃腸への刺激が強く、胃腸の弱い患者では食欲不振・嘔気が出やすい点があります。そのため、麻黄が合わない患者には当帰四逆加呉茱萸生姜湯への切り替えが選択肢になります。
抑肝散は「肝鬱(かんうつ)」、すなわち精神的ストレスによるイライラや怒りの感情が強い患者に用いられます。非定型顔面痛の患者は、長期にわたる痛みと診断のつかない状況から精神的に疲弊していることが多く、結果として肝鬱を帯びやすい体質になりがちです。そのため抑肝散系の処方が奏効する例は少なくありません。胃腸が弱くなってきた段階では陳皮・半夏を加味した「抑肝散加陳皮半夏」に切り替えることで対応できます。
一方、加味帰脾湯は「心脾両虚(しんぴりょうきょ)」、つまり心身の過労から生じる不安・不眠・食欲不振のある患者に適します。これは一見、痛みの治療薬には見えません。ところが実際には、北里大の症例報告で40歳女性の顔面感覚異常(PIFPに相当)に対して加味帰脾湯を投与したところ、10日後に効果を自覚し、45日後には症状がほとんど気にならなくなったという結果が出ています。「胃腸の虚弱」という体質的要因が難治性顔面痛と結びつくという漢方の発想は、西洋医学的には到底考えられないアプローチです。
処方に迷ったときは「患者の誘発因子・増悪因子・体質」の3点を整理するのが基本です。
漢方による非定型顔面痛の治療において、処方の成否を左右するのは問診の質です。通常の歯科問診では「どの歯が痛むか」「いつから」「痛みの強さは」という流れが中心ですが、漢方では問診の軸がまるで異なります。
証の見立ては問診が9割、といっても過言ではありません。
以下は、証を判断するために収集すべき情報のチェックリストです。
これらを踏まえた上で、舌診(舌の色・苔・湿潤度)・腹診(腹力・胃内停水・腹部動悸)・脈診を組み合わせることで、処方の確度が大きく上がります。
たとえば、「舌尖が紅く、後悔の言葉が多く、食欲不振と不眠がある」という所見があれば加味帰脾湯を想起します。「腹部動悸が著明で、甲高い声でまくし立てるように訴え、イライラが強い」という場合は抑肝散加陳皮半夏を候補に挙げます。「天気が悪い日や寒風にあたると顔面痛が増し、慢性的な疲労感がある」なら桂姜棗草黄辛附湯の出番です。
歯科従事者が漢方的問診に慣れるためには、日本東洋医学会や日本疼痛漢方研究会が提供する教育リソースを活用するとよいでしょう。漢方専門医・連携医との協働も一つの選択肢です。
KCPG 2025 漢方CPG Table(持続性特発性顔面痛の記載を含む)|日本東洋医学会
漢方治療を開始した患者が「効いていない」と早期に服薬をやめてしまうことは、臨床的に非常によく起こります。しかし非定型顔面痛の漢方では、効果発現を正しく評価するための時間軸を共有しておくことが欠かせません。
効果発現の目安は「約1か月」が基準です。
北里大の複数の症例報告において、漢方治療開始から何らかの改善を自覚するまでの平均期間は約7.8週(約2か月)とされています。また個別症例では、10年間続いた疼痛が8週間で消失したケースも報告されています。一方で、服薬開始後3日以内に「内服して異常はなかった、美味しく飲めている」といった段階で継続可否を判断するケースもあり、第一印象で諦めず少なくとも4〜8週は評価期間を設けることが重要です。
患者への説明として「短くても1か月は続けてみてください」というインフォームドコンセントをあらかじめ行っておくと、途中離脱を減らす効果があります。
注意すべき副作用についても把握しておく必要があります。代表処方別の主な注意点を以下に整理します。
また、漢方薬は「一つの処方で完結」しなくてよいという柔軟性もあります。証が変化すれば処方も変化させる。それが漢方の「随証治療」の本質です。痛みの段階的な改善に合わせて処方を微調整していく姿勢が、長期的な治療成功につながります。
西洋薬(抗うつ薬・抗てんかん薬)との併用も有効です。向精神薬の副作用(めまい・嘔気)が強く出る患者に対して人参湯を併用したところ症状が著明に改善した、という東京医科歯科大学の症例報告もあります。「漢方か西洋薬か」ではなく、「東西医学のハイブリッド治療」として位置づけることで、より多くの患者を救える可能性が広がります。
漢方と西洋薬の組み合わせ戦略については、坂田歯科医院(口腔内科)のウェブサイトに、歯科領域における代表疾患と漢方薬の一覧が掲載されており、参考になります。