ビニール手袋だけでは26~61%で穴が空いている
ハンドハイジーン(Hand Hygiene)とは、手指を衛生的に保つための行為全般を指す用語です。医療現場では「手指衛生」と訳され、石鹸と流水による手洗いと擦式アルコール製剤による手指消毒の両方が含まれます。
歯科医療の現場では、口腔内での処置が多く、患者の体内に微生物が直接侵入するルートとなるため、他の医療分野以上に手指衛生が重要視されています。実際、院内感染の約90%は手指を介して伝播すると報告されており、手指衛生の徹底は最も効果的な感染対策です。
WHOは手指衛生を改善するための包括的なアプローチとして「手指衛生多角的戦略」を推奨しています。この戦略は5つの要素「物品設備」「研修教育」「測定評価」「現場掲示」「組織文化」で構成され、手指衛生遵守率を高めるための体系的な取り組みを可能にします。
つまり手指衛生は単なる手洗いではありません。
歯科医療従事者は、1日に何度も手袋を交換し、患者間での処置を行うため、効率的かつ確実な手指衛生の方法を身につけることが求められます。どういうことでしょうか?手袋を着用していても、手袋の内側では微生物が増殖する可能性があり、手袋装着前後の手指衛生が必須となるのです。
WHOが提唱する「手指衛生の5つのタイミング(My 5 Moments for Hand Hygiene)」は、医療現場で手指衛生を実施すべき具体的な場面を明確にした国際的な指針です。これは歯科医療にも完全に適用可能な考え方となっています。
第一のタイミングは「患者に触れる前」です。これは他の患者や環境から持ち込んだ微生物を患者に伝播させないための防御行動となります。歯科診療では、患者がチェアに座った後、口腔内を触れる前に実施します。
第二のタイミングは「清潔・無菌操作の前」です。歯科診療における口腔内処置、特に抜歯や歯周外科、インプラント手術などの侵襲的処置の前には必須です。患者の体内に微生物が侵入することを防ぐ重要な場面ですね。
第三のタイミングは「体液に曝露された可能性がある場合」です。歯科診療では血液や唾液に触れる機会が非常に多く、これらの体液が手指や手袋に付着した後は速やかに手指衛生を実施します。医療従事者自身を病原微生物から守るための防御行動です。
第四のタイミングは「患者に触れた後」で、第五のタイミングは「患者の周辺環境に触れた後」です。これらは患者の病原微生物を他の患者や医療環境に広げないために必須の手指衛生となります。歯科ユニット、チェア、ライト、器具トレイなどに触れた後も該当します。
歯科医療現場では多忙な診療の中で手指衛生の「空白時間」が発生しやすく、この5つのタイミングを意識することで確実な感染対策が実現します。
AMR臨床リファレンスセンターの歯科向け手指衛生5つのタイミングの詳細資料
医療現場における手指衛生では、目に見える汚れがない場合、擦式アルコール製剤による手指消毒が第一選択として推奨されています。石鹸と流水で30秒手洗いをした場合、皮膚に付着した病原体は手洗い前の1/60~1/600まで減少します。
これは大きな効果です。
しかしアルコールで30秒手指消毒をおこなった場合は約1/3000と、手洗いよりも除菌効果が5~50倍も高いことが実証されています。これはエタノール濃度60~80%の範囲が広範囲の微生物(MRSA、インフルエンザウイルス、コロナウイルスなど)に対して高い殺菌効果を示すためです。
擦式アルコール製剤には他にも利点があります。短時間(15秒程度)で済み、流水設備のない場所でも使用可能で、携帯もできます。
意外ですね。
実は医療現場で実際に行われている手洗いは平均7~10秒程度であり、30~60秒の推奨時間を守れていないケースが多いのです。
さらに現代の擦式アルコール製剤には保湿成分(エモリメント)が配合されているものが多く、これが皮膚を傷めにくい要因となっています。一方、石鹸と流水による手洗いは界面活性剤によるたんぱく質変性作用で肌バリアを溶かしてしまい、手荒れの原因となりやすいのです。
ただし目に見える汚れがある場合、血液や体液が手指に付着している場合は、アルコール製剤では洗浄作用がないため、必ず石鹸と流水による手洗いを先に行う必要があります。アルコール手指消毒と石鹸手洗いをうまく使い分けることが基本です。
歯科医療現場では1日50~60回にも及ぶ手指衛生が必要となることもあり、効率性と効果の両面から擦式アルコール製剤の活用が推奨されています。
歯科医療における感染対策では、手指衛生と併せて適切な手袋の選択が極めて重要です。手袋の種類によって穴あきや破損の発生率(リーク率)が大きく異なることが複数の研究で明らかになっています。
ビニール手袋のリーク率は26~61%と非常に高く、同一操作を行った後に4個中1個以上、場合によっては半数以上に穴が空いている計算です。
これは衝撃的な数値ですね。
一方、ラテックス手袋は0~4%、ニトリル手袋は1~3%とリーク率を大幅に下げることができます。
手袋には肉眼では見えない小さな欠損(ピンホール)が存在することがあり、これは材質、使用時間、処置の種類によって増加します。歯科診療では切削器具やバーを使用する機会が多く、処置中に手袋が破損するリスクが他の医療分野よりも高いと言えます。
手袋を着用していても、手指衛生を省略してはいけません。手袋装着前に手指衛生を行うことで、手袋内部での微生物増殖を最小限に抑えることができます。
手袋を外した後の手指衛生も必須です。
患者間で手袋を交換する際、手袋を外した手指には多数の微生物が付着している可能性があります。手袋のリーク、汗による湿潤、長時間の着用などで手袋内部の細菌数は増加するため、手袋着脱の前後には必ず手指衛生を実施する習慣が感染予防の鍵となります。
歯科医院でラテックスアレルギーのリスクを考慮する場合は、ニトリル手袋が第一選択となりますが、いずれにしてもビニール手袋の使用は避けるべきです。
日本歯科医師会による新たな感染症を踏まえた歯科診療の指針(手袋のリーク率データ掲載)
医療現場全体の手指衛生遵守率の平均は約20%と報告されており、日本の医療者の患者接触前の手指衛生遵守率は約19%という観察研究結果もあります。これだけ重要性が認識されていながら、なぜ遵守率が低いのでしょうか?
医師・看護師・多職種を対象とした調査では、遵守されない理由として「設置場所に問題がある」(37.6%)、「面倒である」(27.5%)、「手が荒れる」(26.2%)が上位を占めています。物理的なアクセスの悪さ、時間的な制約、そして皮膚トラブルが大きな障壁となっているわけです。
歯科医療現場では特有の課題もあります。清潔・不潔の領域が混在しやすく、多忙な診療の中で「なぜ今、手指消毒が必要なのか」がスタッフ自身に理解されていないケースが多いのです。手指衛生のタイミングを正確に理解していないということですね。
遵守率向上のためには、まず擦式アルコール製剤をポイント・オブ・ケア(患者のすぐ近く)に配置することが効果的です。歯科ユニットごとに設置し、手を伸ばせばすぐに使える環境を整備します。これにより「設置場所の問題」を解決できます。
手荒れ対策も重要です。医療従事者の7割以上が手荒れを経験しており、手荒れがあると細菌が定着しやすく、手指衛生の効果が低下します。保湿成分配合の擦式アルコール製剤を選択し、業務開始前や休憩時には医療用ハンドローションやハンドクリームを使用する習慣をつけることで、手荒れリスクを軽減できます。
CDCガイドラインでも「ハンドローションやクリームを医療従事者に提供する」ことが推奨されており、これは手指衛生遵守率向上につながる重要な対策です。手肌の健康を保つことで、スタッフが手指衛生を継続しやすい環境を作ることができます。
定期的な研修教育と直接観察法による測定評価も欠かせません。ハンドハイジーン研究会のような専門組織が提供するベストプラクティスマニュアルを活用し、自主的な改善の取り組みを継続することが、歯科医院全体の感染対策レベルを高める近道となります。
ハンドハイジーン研究会の公式サイト(手指衛生に関する最新情報と会員向けマニュアル)