歯科治療において、抗生物質の処方は非常に一般的な医療行為です。歯科疾患の多くは感染症を伴い、また外科的処置を行うことも多いため、消炎鎮痛剤と共に抗生物質が処方されることがあります。しかし、抗生物質は病原菌だけでなく、私たちの体内に存在する有益な細菌にも影響を与えてしまうという側面があります。特に腸内細菌のバランスが崩れることで、下痢などの消化器障害が生じることがあります。
このような抗生物質による副作用を軽減するために、歯科医院では「ビオフェルミンR」という特殊な乳酸菌製剤が処方されることがあります。ビオフェルミンRは一般的な乳酸菌製剤と異なり、抗生物質に対して耐性を持っているため、抗生物質と同時に服用しても効果を発揮することができるのです。
ビオフェルミンは多くの方がご存知の乳酸菌製剤ですが、歯科で処方される「ビオフェルミンR」と一般的に市販されている「ビオフェルミンS」には重要な違いがあります。
「R」はresistant(耐性)の頭文字を表しており、抗生物質に対して耐性を持った特殊な乳酸菌が含まれています。一方、市販のビオフェルミンSは抗生物質に対する耐性がないため、抗生物質と同時に服用すると、含まれる乳酸菌が死滅してしまい、本来の効果を発揮できなくなってしまいます。
ビオフェルミンRに含まれる乳酸菌は、ペニシリン系、セファロスポリン系、アミノグリコシド系、マクロライド系、テトラサイクリン系などの多くの抗生物質に対して耐性を持っているため、抗生物質治療中でも腸内環境を整える効果を発揮することができるのです。
具体的な違いを表にまとめると以下のようになります。
特徴 | ビオフェルミンR | ビオフェルミンS(市販品) |
---|---|---|
抗生物質への耐性 | あり | なし |
主な用途 | 抗生物質服用時の腸内環境保護 | 一般的な整腸作用 |
入手方法 | 医師・歯科医師の処方 | 薬局・ドラッグストアで購入可能 |
歯科治療において抗生物質が処方される主な理由は、感染症の治療や予防、また外科処置後の二次感染を防ぐためです。しかし、抗生物質は選択性が完全ではないため、病原菌だけでなく腸内の有益な細菌も殺してしまいます。その結果、腸内細菌叢(フローラ)のバランスが崩れ、下痢や腹痛などの消化器障害が生じることがあります。
ビオフェルミンRはこのような抗生物質による腸内環境の乱れを最小限に抑える効果があります。具体的には以下のような効果が期待できます。
歯科治療では、特に親知らずの抜歯や歯周外科手術、インプラント手術などの侵襲的な処置の際に抗生物質が処方されることが多く、そのような場合にビオフェルミンRが併用されます。
また、歯科治療における抗生物質の使用は、口腔内の感染症だけでなく、心内膜炎などの全身性の感染症のリスクを持つ患者さんの予防的投与としても行われることがあります。このような場合も、腸内環境への影響を考慮してビオフェルミンRが処方されることがあるのです。
ビオフェルミンRを効果的に服用するためには、いくつかの重要なポイントがあります。
まず、ビオフェルミンRは必ず食後に服用することが推奨されています。これには科学的な理由があります。空腹時の胃のpHは約1前後と非常に酸性が強く、このような環境では特殊なカプセルに包まれていない乳酸菌は死滅してしまいます。一方、食後の胃のpHは4〜5程度まで上昇するため、乳酸菌が生きたまま腸に届く可能性が高まります。
標準的な服用方法は以下の通りです。
また、ビオフェルミンRを服用する際の注意点としては以下のようなものがあります。
ビオフェルミンRは医療用医薬品であるため、医師や歯科医師の処方に従って適切に服用することが重要です。自己判断での用法・用量の変更は避けましょう。
ビオフェルミンRは全ての抗生物質と併用できるわけではありません。保険適応上、併用が認められている抗生物質は限定されています。
ビオフェルミンRの添付文書によると、以下の抗生物質・化学療法剤との併用が認められています。
一方、以下の抗生物質は添付文書上では適応となっていません。
これらの適応外の抗生物質と併用する場合、薬剤師は疑義照会を行い、医師に確認することが一般的です。医師の判断によっては、臨床上の有用性から適応外でもビオフェルミンRを処方することもありますが、その場合は処方記録や薬歴に「問合せ済み」などの記録を残すことが重要です。
また、ビオフェルミンRは基本的に単独で処方することはできず、抗生物質と併用する場合にのみ処方が認められています。抗生物質の処方がない場合は、一般的な整腸剤であるビオフェルミンやミヤBMなどが代替として処方されることがあります。
近年、口腔内の健康維持にもプロバイオティクスが注目されています。腸内環境と同様に、口腔内にも多種多様な細菌が存在し、その細菌叢のバランスが口腔の健康に大きく影響しています。
歯周病やむし歯は特定の病原菌の増殖によって引き起こされますが、これらの病原菌を抑制するために「善玉菌」を活用するという考え方が広まりつつあります。これは「口腔内プロバイオティクス」と呼ばれる新しいアプローチです。
特に注目されているのが、L.ロイテリ菌という乳酸菌です。この菌は歯周病原因菌の増殖を抑制する効果があることが研究で示されています。ビオフェルミンに含まれる乳酸菌とは異なりますが、同じプロバイオティクスの考え方に基づいています。
L.ロイテリ菌の特徴。
このように、プロバイオティクスの考え方は腸内環境だけでなく、口腔内環境の改善にも応用されつつあります。抗生物質による治療(アンチバイオティクス)と、善玉菌を活用した予防・治療(プロバイオティクス)を適切に組み合わせることで、より効果的な口腔ケアが可能になると期待されています。
歯科医療においても、抗生物質の使用を必要最小限にとどめ、プロバイオティクスを活用した予防医学的アプローチが今後さらに注目されるでしょう。
歯科医療における抗生物質の使用については、医療従事者の間でも様々な見解があります。近年は、抗生物質の過剰処方を避け、必要最小限の使用にとどめるべきという考え方が広まりつつあります。
歯科医師の中には「抗生物質は必要以上に処方しない方がいい」と考える専門家も増えています。その理由として、抗生物質は悪い菌だけでなく良い菌も殺してしまうため、腸内環境に悪影響を及ぼす可能性があることが挙げられます。
例えば、親知らずの抜歯後に2週間以上経過してから歯茎が腫れるような場合、全身的に抗生物質を投与するのではなく、局所的に効く抗生剤を使用したり、歯科医院で直接消毒処置を行ったりするなど、抗生物質を飲まなくても治療できる方法を選択することが望ましいとする意見もあります。
一方で、感染症のリスクが高い場合や、全身疾患を持つ患者さんの場合には、予防的な抗生物質の投与が必要となることもあります。そのような場合には、抗生物質の副作用を軽減するためにビオフェルミンRを併用することが重要です。
インプラント手術などの侵襲的な処置における抗生物質とビオフェルミンRの処方例。
このように、歯科治療における抗生物質の使用は、患者さんの状態や処置の内容に応じて適切に判断し、必要な場合にはビオフェルミンRを併用することで、副作用のリスクを最小限に抑えることが重要です。
また、将来的には抗生物質に頼らない治療法や、プロバイオティクスを活用した予防法がさらに発展することが期待されています。歯科医療においても、「菌を殺す」というアプローチだけでなく、「良い菌を増やす」というアプローチも重要視されるようになってきているのです。
抗生物質の適切な使用に関する歯科医師の見解
以上のように、歯科治療におけるビオフェルミンRの役割は、抗生物質による腸内環境への悪影響を軽減するという重要なものです。抗生物質が必要な場合には適切にビオフェルミンRを併用し、不必要な抗生物質の使用は避けるという考え方が、現代の歯科医療では重要視されています。患者さん自身も、処方された薬の役割を理解し、適切に服用することで、治療の効果を最大限に引き出し、副作用を最小限に抑えることができるでしょう。