適切な固定処理をせずにTEM観察を始めると、試料が電子線で数秒以内に焼損します。
歯科情報
TEM(透過型電子顕微鏡)観察では、電子線が試料を透過することで像を得ます。そのため、試料の厚さは原則として100nm以下、場合によっては30〜50nm程度まで薄くする必要があります。歯科材料のような硬質な無機物と有機成分が混在する試料では、この薄膜化が特に困難です。
前処理とは、この「観察可能な薄さ」に試料を整えるまでの全工程を指します。具体的には、固定・脱水・包埋・薄切・コントラスト染色という一連の手順が含まれます。これが基本です。
歯科分野のTEM観察では、エナメル質・象牙質・セメント質・歯周組織・各種修復材料など、性質の異なる試料を扱います。試料ごとに最適な前処理プロトコルが異なる点が、この分野の難しさです。前処理の質が観察結果に直結するということですね。
たとえばエナメル質は、ヌープ硬さが約343と非常に硬く、ダイヤモンドナイフを使ったウルトラミクロトーム切削では欠損が起きやすいため、FIB法との使い分けが重要になります。一方、象牙質は有機成分(コラーゲン)と無機成分(ハイドロキシアパタイト)が混在するため、有機成分の保存を意識した固定処理が求められます。
歯科材料のTEM観察に関しては、国内では大阪大学歯学部や東京医科歯科大学の材料工学系研究室が多くの知見を発表しています。文献を活用することで、試料ごとのプロトコル選択の根拠を確認できます。
固定工程は前処理の中でも最も重要なステップの一つです。生体試料の場合、2.5%グルタールアルデヒド(GA)溶液による前固定と、1%四酸化オスミウム(OsO₄)による後固定を組み合わせる「二重固定法」が標準的です。この二段階で細胞膜や細胞内小器官の構造を化学的に安定させます。
固定時間は試料のサイズによって調整が必要です。意外ですね。一般的に1mm³程度の小ブロックであれば、4℃環境下で1〜2時間のGA固定が推奨されます。固定液の浸透速度は約0.5mm/時間であるため、試料が大きすぎると内部の固定が不十分になります。つまり、固定前のトリミングが精度を決めます。
脱水工程では、エタノールシリーズ(50%→70%→90%→100%×3回)を段階的に行います。急激な脱水は構造収縮を引き起こし、アーティファクトの原因になります。各ステップで15〜20分程度を確保するのが原則です。
包埋には樹脂が使用されます。生物試料ではエポン(Epon 812)やLR Whiteなどが広く使われており、硬化後の切削性と組織保存のバランスが良好です。歯科材料のような硬質試料では、試料と樹脂の硬さのミスマッチが切削時の割れを招くため、樹脂硬度の選択にも注意が必要です。これは使えそうです。
包埋後の重合温度と時間も重要です。エポン系樹脂では60℃で48〜72時間の重合が標準的ですが、樹脂が完全硬化していない状態で切削を始めると、断面が毛羽立ち、像の解像度が著しく低下します。完全硬化が条件です。
薄膜化の方法は大きく2種類に分かれます。ウルトラミクロトーム法とFIB(Focused Ion Beam:集束イオンビーム)法です。どちらを選ぶかが、観察結果の品質を大きく左右します。
ウルトラミクロトーム法は、ダイヤモンドナイフを用いて包埋試料を50〜100nmの薄切片に切削する方法です。装置コストが比較的低く(高性能機でも1台約600〜800万円程度)、生体軟組織の観察には非常に適しています。一方、エナメル質のような高硬度材料には不向きであり、ナイフ破損や試料へのチャタリング(振動による切削ムラ)が生じやすいという欠点があります。
FIB法は、集束したガリウムイオンビームで試料を直接削り出す方法です。硬質無機材料にも対応でき、特定箇所(修復材料と歯質の界面など)をナノメートル精度で選択的に薄膜化できる点が大きな強みです。ただし、装置コストは高く(FIB-SEM複合機で1台1億円前後)、照射によるガリウムイオン打ち込みが試料表面を改質するリスクもあります。これが難点です。
歯科材料の界面観察、たとえばレジンセメントと象牙質の接着界面やジルコニアとボンディング材の界面などでは、FIB法が圧倒的に有利です。ウルトラミクロトームでは硬さの差が大きい界面を均一に切削することが難しいためです。界面観察ならFIB法が原則です。
近年注目されている方法として、イオンスライサー(Ar-IBSや断面ポリッシャー)を用いた手法もあります。アルゴンイオンビームで試料断面を仕上げる方法で、試料へのダメージが少なく、広い視野で界面を観察できる利点があります。装置単価はFIB-SEMより安価(約3,000〜5,000万円程度)であるため、導入ハードルが低めです。
TEM観察では、電子の散乱能の差がコントラストを生み出します。生体有機成分は電子散乱能が低いため、重金属塩を使ったネガティブ染色またはポジティブ染色でコントラストを強調する必要があります。染色は必須です。
従来から最もよく使われてきたのは、酢酸ウラニル(uranyl acetate)と酢酸鉛(lead acetate)の二重染色です。酢酸ウラニルは核酸・タンパク質・膜構造に結合し、コントラストを高める効果があります。酢酸鉛は炭水化物や糖タンパク質を強調します。この二段階染色でほとんどの生体試料を対応できます。
ただし、酢酸ウラニルは放射性物質(U-238)を含むため、日本国内では核原料物質に関する法規制(核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律)の下での管理が求められます。取り扱いには施設の登録と記録管理が義務付けられており、管理の不備は法的リスクに直結します。厳しいところですね。
こうした背景から、近年は非放射性代替試薬への切り替えが進んでいます。代表的な代替品として、ウラニル酢酸の代替となる「UranyLess」(EMS社製)や「Uranyl Acetate Substitute」などが市販されています。これらはランタン・セリウム等の希土類化合物を主成分とし、放射線管理不要で同等のコントラストを得られると報告されています。
またウラン系とは別に、リンタングステン酸(PTA)やモリブデン酸アンモニウムなどを用いた染色法も選択肢にあります。歯科材料の観察では、修復材料中のフィラー粒子界面のコントラスト強調にPTAが有効であるとする報告もあります。材料の組成に合わせた染色剤の選択が観察精度を高めます。
JEOLの生物試料TEM前処理ガイド(固定・包埋・染色の手順について詳しく記載)
TEM前処理の議論では薄膜化や染色に注目が集まりがちですが、見落とされやすい重要な要素があります。それは「試料採取のタイミング」と「保存環境」です。これは意外ですね。
歯科臨床試料(抜去歯や生検組織など)の場合、採取から固定開始までの時間が試料品質に決定的な影響を与えます。特に象牙質・歯髄複合体の観察を目的とする場合、採取後15〜30分以内にグルタールアルデヒド固定液に浸漬することが推奨されています。この時間を超えると細胞の自己融解が始まり、微細構造が崩れます。30分が目安です。
さらに、固定前の乾燥も厳禁です。抜去歯を研究室に持ち帰るまでの間、生理食塩水や燐酸緩衝液(PBS)に浸漬して保湿するだけで、観察で得られる像の品質が大きく変わります。ところが現場では、乾燥したまま紙袋や容器に入れて保管するケースが少なくありません。
修復材料試料(レジン硬化体やジルコニア焼結体など)については有機成分の変性リスクは低いですが、保存環境の温度・湿度変化が界面の微小ひずみを引き起こすことがあります。特に異種材料の接着試料(ハイブリッドレイヤーなど)では、熱膨張係数の差により界面に微細なクラックが入ることがあり、これが観察アーティファクトとして誤認されるケースがあります。
観察の直前まで乾燥や温度変化から試料を守るという習慣を持つことで、前処理後の品質が安定します。試料管理のプロトコルを研究室や診療科内で明文化しておくと、再現性のある観察データを蓄積しやすくなります。再現性確保が条件です。
また、歯科材料研究においてFIB前処理後の試料をすぐに観察できない場合は、試料をアルミホイルで遮光・密閉し、デシケーター内(相対湿度20%以下)で保存することで、最大48〜72時間程度は品質を維持できます。これは覚えておけばOKです。
日立ハイテクによる生命科学分野の電子顕微鏡試料作製ガイド(保存方法・固定条件の詳細あり)