排出量データを出さないだけで、来年から受注がゼロになる工場が出てきています。
「サプライチェーン排出量ガイドライン」とは、環境省と経済産業省が共同で策定した、温室効果ガス(GHG)排出量を組織単位で算定・報告するための国内標準的な指針です。2026年3月には最新版となる「ver.2.8」がリリースされており、国際基準であるGHGプロトコルの「Scope3基準」との整合を図りながら、日本企業の実態に合わせた算定ルールが定められています。
金属加工業に従事する方にとって重要なのは、このガイドラインが「自社の工場内だけの話ではない」という点です。ガイドラインは事業者自らの排出量(Scope1・Scope2)に加え、原材料の調達から製品の廃棄に至るまでのサプライチェーン全体の間接排出(Scope3)を含めた「トータル排出量」を算定の対象としています。
排出量算定の基本式は以下の通りです。
| 区分 | 定義 | 金属加工業での主な排出源 |
|---|---|---|
| Scope1 | 自社の直接排出 | 工場の重油・ガス燃焼、溶解炉の燃料使用 |
| Scope2 | 購入エネルギーの間接排出 | プレス・切削・熱処理設備の電力消費 |
| Scope3 | 上流・下流の間接排出(15カテゴリ) | 鉄鋼・アルミ原材料の製造、輸送、廃棄物処理 |
排出量(t-CO₂)= 活動量 × 排出原単位 という基本式がすべての起点です。
活動量とは「電力使用量(kWh)」「燃料使用量(L)」「原材料購入量(t)」などの実測値を指し、排出原単位とは「1kWhあたり何kg-CO₂か」を示す係数です。この係数は環境省の「排出原単位データベース」から入手でき、現在ver.3.5が公開されています。算定の入口として必ず確認しましょう。
基本ですね。まずこの式を押さえることが先決です。
環境省グリーン・バリューチェーンプラットフォーム|排出量算定に関するガイドライン一覧(ver.2.8を含む最新版へのリンクあり)
Scope3は15のカテゴリに分類されており、算定対象として「関連性があり、かつ算定可能なもの」をすべて含めることが原則です。金属加工業の場合、特に影響が大きいのは以下のカテゴリです。
多くの金属加工企業では、Scope3カテゴリ1だけで全体排出量の50〜80%を占めることが調査から示されています。つまり、原材料の仕入れ先を変えること、あるいは低炭素素材に切り替えることが、最も大きな削減効果をもたらす可能性があります。これは意外なポイントです。
Scope3全体を一度に算定しようとすると、データ量の多さに圧倒されます。ガイドラインでは「排出量が小さく全体への影響が軽微なもの」や「データ収集が著しく困難なもの」については、算定対象から除外することを認めており、除外した理由と除外した排出量の推計値を記載することで対応可能です。まず影響の大きいカテゴリから着手するのが原則です。
環境省|サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定に関する基本ガイドライン Ver.2.8(PDF)
算定に使うデータには「1次データ」と「2次データ(排出原単位データベース等)」の2種類があります。この違いを理解しないまま算定を進めると、後になって数値の信頼性を問われたり、取引先から再提出を求められたりするリスクがあります。
1次データとは、サプライヤーや自社が実際の活動から直接収集したデータです。たとえば、鋼材メーカーから「この製品の製造時のCO₂排出量は0.48t-CO₂/t」という数値を直接もらった場合がこれにあたります。自社の製造設備の実測電力消費量なども1次データです。
2次データとは、環境省の排出原単位データベースや産業連関表ベースの係数など、業界平均値を使って算出するものです。たとえば「鉄鋼(普通鋼)の産業連関表ベース排出原単位:約2.41t-CO₂/百万円」などの値を活用します。
| データ種別 | 精度 | 取得難易度 | 金属加工業での活用場面 |
|---|---|---|---|
| 1次データ | 高(実態を反映) | 高(サプライヤーへの依頼が必要) | 主要鋼材・アルミの調達先から個別にもらう |
| 2次データ | 中(業界平均値) | 低(環境省DBから無料入手) | 廃棄物処理・小規模購買品・輸送などに活用 |
2025年3月にリリースされた環境省の「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド(ver.1.0)」では、実測値を活用することで「削減努力が数値に反映されるScope3算定」が可能になると明記されています。
重要な点がここです。2次データだけで計算すると、自社がどれだけ省エネ設備を導入して電力消費を削減しても、排出量の数値が変わらないという問題が起きます。自社の努力を数値に反映させたいなら、1次データの取得が鍵です。
中小企業の段階的な対応として、まずは主要取引先のうち金額構成比が上位の素材メーカー5社程度から1次データの提供をリクエストするところから始めることをお勧めします。
環境省|1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド Ver.1.0(PDF、2025年3月)
「自分の会社は中小企業だから、開示義務は関係ない」と思っている方は要注意です。
2027年3月期決算より、時価総額3兆円・1兆円・5000億円以上の上場企業に対してScope3排出量の開示が段階的に義務化されます。これらの大企業がScope3を開示するためには、自社のサプライチェーンに属するすべての取引先——つまり金属加工の中小企業——のCO₂排出量データが必要になります。
この構造が重要です。義務は大企業にかかりますが、データを出せない下請けは「Scope3算定の障害」とみなされ、取引上の評価が下がる可能性があります。
実際、製造業向けの調査では、大手メーカーが取引先に対してCO₂排出量データの提出を「取引条件」として明示するケースが2025年以降急増しています。取引評価の一要素になりつつあると報じられており、データ未回答の企業は次回の発注先候補リストから外れるリスクが現実化してきています。
加藤軽金属工業(愛知県・アルミ押出形材メーカー)は環境省のモデル事業に参画し、自社で年間1万トン以上のCO₂を排出していることを算定で把握。その上で設備更新・運用改善とともに、取引先を巻き込んだ協業削減施策の実証実験に着手しました。対応の早さが競争力に直結した典型例です。
算定対応が条件です。動ける会社が次世代の取引先として選ばれます。
eMIDAS magazine|サプライチェーン全体に広がる「情報開示」の要請──中小製造業にも迫る開示の波(2026年1月)
ガイドラインの解説記事の多くは「まず境界設定をして」「カテゴリごとに活動量を集めて」と説明しますが、金属加工の現場では「どこから数字を持ってくればいいか」で多くの担当者が詰まります。そこで提案したい独自の切り口が、すでに工場に存在する「設備台帳」をScope1・2算定の起点にするという方法です。
金属加工工場には一般に、プレス機・切削加工機・研削盤・溶接機・熱処理炉・コンプレッサーなどが並んでいます。多くの工場では設備台帳や定期点検記録が整備されており、各設備の電力消費量(kW)・稼働時間(h)・燃料使用量のデータが入っていることも少なくありません。
これが算定の宝の山です。
実際の手順は以下の通りです。
たとえば、200kWの電力を使うプレス機が年間2,000時間稼働している場合、年間消費電力は400,000kWhです。この地域の電力排出係数を0.45kg-CO₂/kWhとすると、このプレス機1台だけで年間180t-CO₂が排出されていることになります。これはA4用紙を約36億枚分製造する際に相当するエネルギー規模のイメージです。
小規模な工場でも、設備が10〜15台あれば年間500〜2,000t-CO₂程度の排出量になるケースは珍しくなく、この規模感を数字で把握しておくことが、取引先への説明力に直結します。設備台帳がそのままデータソースになるなら、専用ソフトがなくてもExcel一枚で始められます。専任部署がなくても取り組める点が強みです。
Scope1・2を把握したら、次は主要原材料の年間仕入れ量(t)に環境省の排出原単位データベースの係数を掛けてScope3カテゴリ1の概算値を出す、という順番で進めると現場の負担を最小化できます。
環境省グリーン・バリューチェーンプラットフォーム|業種別取組事例一覧(製造業の算定実例を参照できる)