同じ材料でも、カタログ値と実測値の摩擦係数が±20%以上ズレて、製品不良につながるケースがあります。
金属加工の現場では、「摩擦係数」という言葉を日常的に耳にする機会が多いはずです。しかし、その測定方法やJIS規格との関係を体系的に理解している方は、意外と少ないのではないでしょうか。
摩擦係数μは、非常にシンプルな式で定義されます。
摩擦係数μ = 摩擦力F(N) ÷ 垂直抗力N(N)
この式が示すとおり、摩擦係数は「どれだけ滑りにくいか」を無次元の数値で表したものです。値が大きいほど物体は動きにくくなります。
日本国内で摩擦係数測定に関連する代表的なJIS規格は以下の3つです。
| 規格番号 | 対象材料 | 制定年 | 試験速度 |
|---|---|---|---|
| JIS K 7125 | プラスチックフィルム・シート | 1999年 | 100±10 mm/min |
| JIS P 8147 | 紙・板紙 | 2010年 | 10.0±0.2 mm/min |
| JIS K 5600 | 塗料・塗膜 | 1999年(2014年改訂) | 0.5~1 mm/s |
金属加工の現場では、金属材料そのものを対象とした単独のJIS摩擦係数規格が存在しないケースも多く、組み合わせる材料や用途に応じて参照する規格を選択することが求められます。つまり、規格の選択自体がすでに専門知識の問われる作業といえます。
摩擦係数は「材料固有の値」ではありません。接触する2つの素材の組み合わせで初めて決まる値です。たとえばステンレスの摩擦係数を測定する場合、相手材がアルミなのか樹脂なのかによって数値が大きく変わります。これが基本です。
参考リンク(JIS K7125の規格内容確認に有用)。
JISK7125:1999 プラスチック−フィルム及びシート−摩擦係数試験方法(kikakurui.com)
金属加工に携わる方が測定を行う際、最も混同しやすいのが「静摩擦係数」と「動摩擦係数」の違いです。両者は同じ測定装置を使っても、記録するタイミングと計算区間が異なります。
静摩擦係数は、物体が「動き始める直前」の最大摩擦力を垂直抗力で割った値です。物体を静止状態から動かすときにかかる力の最大値を反映しているため、機械の起動トルク設計やボルトの緩み止め計算で特に重要になります。
動摩擦係数は、物体が「一定速度で滑り動いている最中」の摩擦力の平均値を使って算出します。静摩擦係数よりも小さな値を示すのが一般的です。搬送装置の連続運転時の駆動力計算や、プレス加工における潤滑効果の評価では動摩擦係数を参照します。
静摩擦係数が高く、動摩擦係数が低い組み合わせには、特有のリスクがあります。両者の差が大きいと「スティックスリップ(stick-slip)」と呼ばれる現象が発生します。物体が静止と運動を短時間で繰り返す現象で、搬送ライン上での異音・振動・位置ずれを引き起こします。精密部品を扱う加工現場では、このスティックスリップが品質トラブルに直結することがあります。
💡 ポイント:起動時・停止時の設計では静摩擦係数を、定常運転の駆動力計算では動摩擦係数を用いるのが基本です。
設計段階では、安全率の観点から「駆動力計算には静摩擦係数の上限値」「制動力計算には動摩擦係数の下限値」を使う判断が、設計の信頼性を大きく高めます。どちらか一方しか測定しないと、設計に抜け穴が生まれます。これが条件です。
参考リンク(静摩擦・動摩擦の違いと測定手順の詳細に有用)。
摩擦係数測定(摩擦試験)の基礎|静摩擦と動摩擦の違い、測定方法、測定機器をわかりやすく解説(force-channel.com)
JIS規格に準拠した基本的な摩擦係数測定は「水平法」と呼ばれる方式を採用しています。測定の流れは以下のとおりです。
ロードセルは力を電気信号に変換するセンサーで、摩擦力の計測に欠かせない機器です。連続的なデータ記録ができる計測スタンドと組み合わせることで、静摩擦力のピーク値と、動摩擦力の特定区間における平均値を分けて算出できます。
なお、JIS P8147(紙・板紙)とJIS K7125(プラスチックフィルム)では、試験片サイズ・錘重量・試験速度がそれぞれ異なります。重要なのは、これらの条件を測定のたびに統一することです。試験速度が600 mm/minと100 mm/minでは、同じサンプルでも静摩擦係数に明確な差が出ることが実験データで確認されています。
また、傾斜法という方法もあります。試験台を徐々に傾けていき、試験片が滑り出した角度θを記録し、tan(θ)として静摩擦係数を求める方法です。専用の測定装置が不要なため、現場での簡易確認に使われることがあります。ただし、精密な品質管理を目的とした測定には、水平法による電動計測スタンドを使った測定が適しています。
参考リンク(測定手順・試験装置の詳細情報として有用)。
摩擦係数測定(JIS K7125)の測定原理と試験手順(株式会社TIC)
測定値が毎回バラバラで「この数値、信用していいの?」と感じたことはないでしょうか。再現性の低い測定データは、品質管理の根拠として使えません。現場でよく見落とされる5つのポイントを整理します。
これは使えそうです。測定環境の整備だけで、品質トラブルの原因となるデータのばらつきを大幅に抑えられます。
加えて、見落とされがちな要素として「温度・湿度」があります。夏と冬で同一サンプルの摩擦係数測定値が大きく変わることは珍しくありません。試験環境の記録を測定データとセットで保管しておくことが、後の品質トレーサビリティに役立ちます。
参考リンク(摩擦試験の再現性向上ポイントの詳細に有用)。
摩擦試験・摩擦係数測定の再現性を高めるための5つのポイント(force-channel.com)
「材料メーカーのカタログに書いてある摩擦係数を使えばいい」という考え方は、金属加工の設計現場では非常に危険です。カタログに記載されている値は、標準的な試験条件(乾燥・常温・特定の相手材)で取得されたものにすぎません。
実際の設計条件——潤滑油の有無、加工温度、表面粗さ、相手材の材種——が変われば、摩擦係数は大きく変化します。摩擦係数にはかなりのばらつきがあり、通常±20%程度の変動が起こり得ることが知られています。このばらつきを無視して締付けトルクや搬送力を設計すると、ボルトの緩みやワークの位置ずれといったトラブルにつながります。
たとえばプレス加工において、潤滑油の動摩擦係数が小さいほど、しわ押さえ力の上限が高くなり、成形可能な範囲が広がります。逆に、性能が高すぎる潤滑剤を使うと摩擦係数が下がりすぎて、規定のトルクで締め付けてもボルトが伸びたり破断したりするリスクがあります。潤滑剤があれば常に安全とは限りません。
設計現場での判断基準は次のように整理できます。
| 設計場面 | 使うべき摩擦係数の種類 | 理由 |
|---|---|---|
| 起動トルク・始動力の計算 | 静摩擦係数(上限値) | 最悪ケースに備えるため |
| 搬送装置の定常駆動力 | 動摩擦係数 | 運転中の摩擦を表すため |
| ブレーキ・制動力の設計 | 動摩擦係数(下限値) | 最小制動力に備えるため |
製造ばらつきや経年変化も想定に入れる必要があります。表面コーティングが摩耗により剥がれると、かえって摩擦係数が上昇するケースもあります。これを定期的な点検や潤滑管理の計画として設計段階から組み込んでおくことが、品質保証の観点から重要です。
表面粗さ(JIS B 0601)と摩擦係数の関係も見逃せません。表面粗さRrmsが0.5~1μmを境に、粗面側では粗さが増すほど摩擦係数が高くなり、逆に鏡面(超平滑面)では滑らかになるほど摩擦係数が高くなるという逆転現象が確認されています。意外ですね。これは分子間の凝着力が強まることで説明されます。表面をツルツルに仕上げるほど摩擦が下がるとは限りません。
参考リンク(設計現場での摩擦係数の活用判断に有用)。
摩擦係数とは?測定方法・計算方法と注意点:設計現場での実用的な判断基準を解説(protrude.com)
参考リンク(トライボロジーの基礎と表面粗さ・摩擦係数の関係に有用)。
トライボロジー(摩擦・摩耗)の基礎(日鉄テクノロジー・日本製鉄)
金属加工に長く携わっていると、「規格に準拠した測定をやっているから大丈夫」という思い込みが生まれることがあります。しかし、JIS規格はあくまで「統一した条件での比較」を可能にするための枠組みです。規格に準拠していることと、実際の加工条件を反映した測定をしていることは、必ずしも同じではありません。
たとえばJIS K7125に基づいてフィルムの摩擦係数を測定しても、それはあくまで室温23±2℃・湿度50±5%の環境下での値です。鍛造や熱間プレスのような高温が関わる加工では、この数値がそのまま使えないことは明らかです。実測データを取得する場面では、実際の加工条件にできるだけ近い環境を再現することが理想です。
現場での測定コストや時間の制約がある場合は、以下のような考え方が実用的です。
この段階的なアプローチが条件です。最初から全ての測定を精密に行う必要はなく、設計フェーズに応じて測定精度と工数のバランスをとることが、実務的な品質管理につながります。
なお、JIS規格に準拠した摩擦係数測定機器(トライボメーター、摩擦試験機)を選定する際には、規格で定められた試験速度のコントロールが可能な電動スタンドと、0.01N単位以下の分解能を持つロードセルの組み合わせが推奨されます。測定機器の精度が低ければ、どれだけ手順を守っても再現性のあるデータは取れません。測定機器の選定が条件です。
摩擦係数の測定は、一度やれば終わりではありません。加工条件の変更、潤滑剤の切り替え、素材のロット変更など、あらゆる変化が摩擦係数に影響します。継続的にデータを蓄積し、異常値を検知できる体制を作ることが、金属加工現場における本質的な品質管理です。これが基本です。
参考リンク(摩擦摩耗試験関連規格の全体像把握に有用)。
摩擦摩耗試験に関連する規格を解説【JIS K 7125など】(新東科学株式会社 HEIDON)